むとうの読書ノート 論語 子罕第九 二八

読書ノート

【素材】
→論語 子罕第九 二八

【引っかかった点】
→知者は惑わない。仁者は憂えない。勇者は懼(おそ)れない。

【最初の反応】
→懼れないと恐れないの違いって?

【なぜ引っかかったか】
→なんか意味があるのかな?

【今の仮結論】
→何か違いがあるのかと思ったが、よくわからなかった。
単純に考える。

知者は「知」ゆえに惑わない。行った先がどのようになるのかわかるから。

勇者は「勇」ゆえに恐れない。怖いものがないから。

仁者は「仁」ゆえに憂えない。なんで?

一体「仁」とは何なのだろうか。
憂いなしといえば、「備えあれば患いなし」…
なんと「うれい」は同じでも漢字は違うのか。

デジタル大辞泉では、
憂い
1 予測される悪い事態に対する心配・気づかい。うれえ。
2 嘆き悲しむこと。憂鬱ゆううつで心が晴れないこと。
とのこと。

二つの意味があり、しかも事前と事後の意味があるようだ。事前の方だとすると、「知」と内容は被るか?

とすれば、「仁」とは「やったことにくよくよしない」という意味だろうか。

それであれば、
「知」があれば、見通しが立つ。
「勇」があれば、実行できる。
「仁」があれば、どんな結果も受け入れる。
と道筋が見えてくる。

どれかが、欠けていてもPDCAを回すことはできない。
孔子はどこまでも実務家なのだろう。

【行動・意識への接続(1つだけ)】
→「知」「勇」「仁」はセットで効果を発揮する。
何かをやろうと思った時、この3点セットで考える。
これしかないと思った時、「知」は足りているか?
つまり、しっかり調べて計画したか?と考える。
えいやっ!とやるに足る準備をしたか。人は行動を「勇」に委ねてしまいがちだ。

あとやった後は「仁」でなければならない。それでも我々はやったことが上手くいかないと後悔しがちだ。
それでも「知」をもって準備を徹底したならば、この経験を改善して次につながる。
「仁」の心で、次に生かす。

仮に「勇」が足りない人も「知」をとことんまで突き詰め、「仁」の覚悟が決まれば、自然と「勇」が湧いてくるかもしれない。

今の時代は命までは取られない。むしろ行動して、修正してこそチャンスが増える。この「知」「勇」「仁」の3セットは常に意識すべきだ。

【保留メモ】
→論語では常に、「仁」は構造で説明され続けている。「憂いがない」だけではないはずだ。


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