素材
→論語 泰伯第八 一三
引っかかった点
→国に道がある中で、貧しく且つ賤しいのは恥である。
最初の反応
→貧しいことは恥なのか?そもそも道とは?
なぜ引っかかったか
→「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす」
道を善くするとは?舗装?
今の仮結論
→「道理」のようなものだと解釈した。
死を避け長く熱心に学び、価値基準をより良くする。国に善悪の基準がしっかりとしていれば、その中で評価されないことを恥じて、国の価値基準が狂っているのであれば、その中で富栄えているということは、悪い事をしてのし上がっているのだから恥じる。そういう話であると思う。
なので、孔子としては、今の自分の不遇については、この文章で納得しているのかもしれない。
戦国時代の狂った世の中である。この時に重宝されるのは、兵隊と軍資金のあるもの、そして将軍と軍師である。
徳も礼も形骸化した世の中で、重宝されるのは恥だと孔子は言っている。
いやこれは言い過ぎの曲解か。孔子は、曲がった世の中で、富んでいる状態を恥だと言っている。曲がったことをして得た財だからだ。
孔子は曲がった世の中で重宝された結果、国に道を創るのを生業にしている。孔子は、紀元前の神話時代の統治基準を「徳」と見ている節がある気がする。
有史以来、常に国の道はゆがんでいる。
過去にずっとゆがんでいるものが、ゆがまない状態になるのだろうか?
むしろ、ゆがんでいるのが正常ではないのだろうか?
そのことは孔子だって理解しているはず。
孔子は夢物語に殉じたのだろうか?
行動・意識への接続(1つだけ)
→自分がやっていることが正しいと思うと、大枠の部分で実体と差異が生じることがある。
ラッセルは、幸福論で不幸の原因を追究し、万人が幸福になる方法を著したつもりが、不倫・不名誉の自己弁護の文章を作ってしまった。
のめり込めばのめり込むほど、現実の用から外れたものができやすい。
私は、背が低いので、突きを打つ際に、リーチの差を克服する為に、踏み込みを強化した。かなりの修練を要したが、実用で考えるならば、間合い管理とフェイントの研究で用は足りた。
のめり込んでいるなと感じたとき、ふと「これは何のためにやっているだっけ」と考える癖を持てば、時間を無駄にせず、目標を達成しやすいと思う。
保留メモ
→やはり「徳」ってなんなんだろう?
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