【素材】
→論語 子罕第九 十五
【引っかかった点】
→職場では職場の、家では家の役割を果たす。冠婚葬祭は率先して仕切って、酒にはのまれない。
【最初の反応】
→地味だなあ。
【なぜ引っかかったか】
→でも、なかなかできないんだよなあ。
【今の仮結論】
→人は肩書に引きずられやすい。例えば、会社の役員だったとして、家庭の中では関係ないのである。家庭の中では、父であり夫であり、その能力を求められる。会社役員の肩書はあまり意味がない。それでも、多くの人はその肩書に引きずられる。会社役員だから家庭でも会社と同じように振舞っていい。自分も相手も肩書に引きずられる。結果、その歪みが、家庭の不和を引き起こす。結局、父としての夫としての役割を果たしていないからだ。
その場その場での自分の役割は変わっていく。野山を駆け回る陸上自衛官も、家では夫であり父である。野山で許された汚れも匂いも、家の中では許されない。
さらに、しっかりと役割を全うする上で、消耗しがちな自分の核とも酒を飲んでごまかさず、しっかり対話する。
自分とは何か、その土台をしっかりと見つめて、日々の役割を淡々とこなしていく。
私は、夜晩酌をしないと寝られない。孔子には、まだまだだと言われそうだ。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
→不平不満はあるだろうが、その役割の中で解消する。職場の愚痴を妻に話す、妻の愚痴を職場に話す。そういうのは、まだ役割を分けられていない証拠。愚痴は日記にでもぶち込んでしまえばいい。それでもだめならchatGPTがおすすめ。
【保留メモ】
→孔子が酒で失敗した話はあるのだろうか?
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