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- 老子 第15章
引っかかった点
古の善く士たる者は、微妙にして玄通し、深き事識る可からず。夫れ唯だ識る可からず、故に強いて之が容を為す。
翻訳のブレがあると感じた箇所。主体が混同されている気がした。
最初の反応
翻訳が混乱しているため、読んだ瞬間は少し戸惑った。
翻訳がブレていることで、意味が取りにくいと感じた。
なぜ引っかかったか
注釈によると、
「見たところ掴みどころがなく、奥深く何事にも精通しているので、人としてのその深さをはかり知ることができない。そもそもその深さが計り知れないから、無理してその姿をのべよう」
とあるが、老子が無理して述べる理由が理解しにくい。
次に出てくる事例も、奥深く何事に精通している人間がすることなのか疑問だった。
- 川は冬の川を渡るように警戒して渡る
- 人の家では、賓客の如く厳かに
- 常に周りに敵がいるかのように警戒する
万物に精通しているなら、こうした配慮は不要ではないか?
今の仮結論
本質を「ほんのり知っている(玄通)」からこそ、完璧に理解する必要はない、と考えるのが妥当ではないか。
- 本質とは未知であることを認め、適切に振舞うこと
- 答えのない問題に向き合う姿勢として表現できる
- 全てを知ることは不可能、余白を持って次善の策を考える
余白があるから慎重になれる。
慎重さがあるから、失敗しても立て直して計画を調整できる。
「此の道を保つ者は、盈(み)つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能くやぶれば新たに成る」
という老子の思想にもつながる。
行動・意識への接続
- 情報収集や準備は完璧を求めすぎない
- 全てを事前に知ることは不可能
- 最低限守りたいことだけを明確にし、その他はある程度で決める
- 例:旅行での合流点、病気、金銭、危険への対応など
- この姿勢は、日常のあらゆる行動に応用可能
保留メモ
- 戦争など国家存亡の危機の際、このスタンスでは困るのではないか?
- 完璧を求めず余白を持つ姿勢と、極端な状況での判断のバランスはどうなるのか?


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