むとうの読書ノート 修養 第十章 逆境にあるときの心得

修養

【素材】

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修養 第十章 逆境にあるときの心得

【引っかかった点】

(引用 or 要約を1〜3行)

 あるべきものが無いのが逆境。
 あるべきと思う心が逆境を作る。
 境遇に順も逆もなく、心の置き方次第である。

【最初の反応】

(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)

 上の文章は、この章を読んだ上での私の要約である。
 新渡戸先生の素晴らしい文章でぐいぐい読まされたら
 結局この三行であると感じた。

【なぜ引っかかったか】

 引っかかったというより、つまりは何が言いたいのか?
 新渡戸先生の優しい言葉の中にある本筋は何なのか?

【今の仮結論】
(今の段階での整理)

これは私の読書ノートなので、気になったら「修養」を読んでももらいたい。感想を述べる。

私の解釈が先の三行に至った経緯を述べる。

先生のお話を読むにつけて、
「順境と逆境の違いとは?」について
考えながら読んでいた。

結論から言うと
「あるべきと思うモノが無い状態」が逆境である。
「あるべきと思うモノがある状態」は順境である。

簡単に言えば、
自分が日本男児に生まれ、日本男児の平均身長は170㎝程度であるから、その背丈が無ければならぬと思い、実際にそれに満たない背丈であれば、その者にとっては一生の逆境である。

ここで重要なのは、現実として、日本男児の平均が170㎝程度なので在り、平均なのだから、世の半数の日本男児は、その基準に満たない。
なので、日本男児の半数程度は、背丈が平均以下でも問題なく生きている。「その背丈(平均身長)が無ければ生きていけない」と思う心が問題であって、自身の背丈は実は問題ではない。

背丈が足らぬことによっておこる弊害はもちろん生じる。
恋愛であったり、運動であったり、闘争であったり。そういう場面で不利が生じることはあるが、それでも致命的ではない。

むしろ、足らぬと思い、自らの可能性が無いと断ずる心が、それらの成功を阻害する。

恋愛でも、運動でも、闘争でも、背丈は諸条件の一要素にしか過ぎない。戦い方はいくらでもある。

戦う場所を変えれば、短所が長所になりうる場面は枚挙に暇がない。
恋愛であれば、大きい男性が苦手な人もいるし、運動であれば、体操選手やジョッキーなどは小さいほうが良い。闘争においては、銃の打ち合いとなれば的が小さいほうが生存率は上がる。

「あるべきものが無い」と思い込み、逆境を自分で作ってしまう弊害は、むしろ精神面にある。

自身の可能性を自分で狭めてしまう精神性こそ問題である。
そして世の中の事を歪んで認識してしまうことも問題だ。

孫子でも、戦いに勝つためには「彼我の状況を正確に認識する必要がある」と述べている。孫子は徹底的に情報を集めて、スパイもバリバリ使って、戦う前に有利な状況を作るという人だから、全てを真似する必要が無いが、自分で自分を過小評価したり、周りを過大評価又は過小評価することこそ、つまらないものはない。

どんな境遇であれ、彼我の状況分析が正確にできれば、目標は達成できる可能性がある。目標に近づくことができる。

これは、何も背の高い男性を好きな女性を、低身長の男性がハート射止めることができるようになるとは言っていない。

しかし、自ら、「女性は必ず背の高い男性を好む」と断定していないだろうか。友人間では見栄を張り「小さい男は興味ない」と言っている女性はいても、案外小柄と付き合ったりするものである。本心から小柄を嫌う女性もいる。これは、その人次第で、その人について知らなければわからない問題だ。

仮にあなたが低身長でその女性に振られたとて、それが低身長が原因である可能性はどれほどのモノだろうか?それはわかりようがない。
所詮、背丈など、恋愛の諸条件の一つに過ぎないのだから。

そもそも高身長には高身長の悩みがある。

これは、例として背丈を述べたが、他の諸条件でもどの場面でも当てはまると思う。

お金があれば、筋肉があれば、事故にあわなければ、朝起きれていれば、もっとイケメンなら…

これらが、揃っていれば、女性と仲良くなれたか?不意の喧嘩を対処できたか?戦場で生き残れたか?

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

全て結果論である。

新渡戸先生は、「逆境を善用せよ」と言った。

「あるべきものが無い」と思うのであれば、それを補う努力をすべきであり、今ある状況で不足を感じているならば、その状況を正確に分析して、解決策を探すことが重要で、自身が「あるべき」と考えているものが無くても物事が解決することは往々にしてある。

人間はここ何千年も大きな進化はしていない。
なので、人の悩むこともそんなに変化していない。
一般的な悩みは、解決した先人が必ずいる。

なので学ぶことが大切である。

そして、苦しんだ分、人の気持ちが分かるようになる。
先生は、その分、人にやさしくできることが良いと述べていたが、
私は、苦しみ試行錯誤した経験があれば、相手の行動をフラットに分析できると思っている。私は、新渡戸先生より低い視座にいるために、その様に思っている。

新渡戸先生は「他人の利は我が害、他人の損は我が得というように見えるが、実際はそうではない。そうでないどころか、一人の利は万人の利、一人の苦は万人の苦、一人の楽は万人の楽である。かく観ずれば、世界の調和は美しい」という。

先生は、天下国家を論じる立場にいらっしゃるゆえにここまで視座が高いのかもしれません。ただ、一般人で言えば、小学校の給食でさえ、「他人の利は我が害、他人の損は我が得」なのです。凡夫の世界のパイは小さく、基本的に取り合いです。

生き残るために、彼我の戦力を正確に比較して、勝てるところで勝っていかないと、食べてはいけないのです。

同章の先生の苦労エピソードを見て、少し拍子抜けしたところもありました。「アメリカにいたとき、本国からの送金が途絶え、5.6ヶ月資金繰りが大変だった。お金に余裕があり、放蕩をしている同僚に感情的になりそうになったこともあった。洗濯の小さなものは自分でやり、食事は日に一度になった。それ以外はパンと水でしのいだ」と。そのせいで、後々体調を崩したかもしれないと。

いやパン食っとるやんけ。私はそう思いました。
あと先生の懐具合と同僚のお金の使い方は無関係なので、そこで破壊的感情が生じるのはどうなのかと。

まさに「あるべきが無いのが逆境」なのだと思いました。
逆境を作るのは自分自身の心であると。

【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)

逆境だ順境だ、などと言葉に酔わずに出来ることを探す。
生存に関わることならなおさらである。一つの欠点が原因で死に至ったという話は聞いたことが無い。死の原因は大概は、突発的な事故でなければ、日常的なモノの考え方と行動のパターンが原因である。

特に「あると思う心」「ないだろうと思う心」この二つが原因であり、都度確認していれば、このようなことにはならない。

信号が青だろうが赤だろうが、自分がしっかり安全であるかを確認して自分の判断で渡るのである。

【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)

どの境遇でも克服しなければ、よりよく生きていけない課題があるといったところか。多分順境だと思うことも、逆境だと思うことも、今の自分の境遇にバイアスが加わるという意味で良い状況ではないと思う。
生きていれば問題は常に湧き出てくるのだから。


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