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老子 第11章
引っかかった点
故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
最初の反応
→ 空白が大切なのね。
なぜ引っかかったか
→ では人における空白とはなにか?
今の仮結論
確かに、
- 荷台は、荷を詰める空白があるから利がある。
- 器は、入れる空白があるから利がある。
- では人は?
頭も空、予定も空、言葉も空虚。それで用を為すのだろうか?
文字通り「空手」、「手」が「空いて」いるから、「モノを持てます」でいいのだろうか?
これは本当に困った。
基本的に、そういう人物はあまり使い道は無いのではないか?
老子が目指す道とは、そういう道なのか?
自立して、他人に寄り掛からない、人と人との間に「余白」がある人間ならどうだろうか。
「玄徳」は、第10章で、生み育て自立させるが自分のモノにしないと言っていた。
どこまでも、自分の芯は、何物と交わらない生き方が「玄徳」の様だ。
そのような人物が作る空白的空間は、周りの人々を成長させ自立させる良い空白的空間である。
自分の周りは空白だらけなので、「玄徳」という生き方は、周りに多くの人がいても、心理的に孤独な生き方なのだろう。
かなりストイックだ。
行動・意識への接続(1つだけ)
→ わからないものは、わからないと言っていい。
見栄や恥じらいが、安直な答えを創作するが、それは余白のない人間がすることだ。
わからないものは、わからないと答えることが誠実な回答であり、人間的余白を作る自立した考えだ。
保留メモ
→ 今回は、人間の空間的余白と解釈した。この場合は自立した個人の思想はかなりの高密度に詰まっている。もしかしたら解釈違いかもしれない。


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