今回読んだもの
論語 学而第一
引っかかった箇所
学んだことを、いつでもおさらいするのはとてもうれしい事。
志を同じくする友達が、遠いところから来てくれるのは、とても楽しいものだ。
人が分かってくれなくても気にしないのは、やっぱり君子だ。
最初の反応
これ、
「友達が来てうれしいね」という話ではない。
文章の流れを追っていくと、
なんだか途中でぞっとした。
なぜ引っかかったのか
いつも勉学をして、
遠くから友達が来て楽しいね。
ここまでは自然だ。
なのに、そこから
「理解されなくても怒らないのが君子だ」
という話につながる。
この流れは不自然だと思った。
今の仮結論(まだ途中)
こういう読み方が浮かんだ。
いつも勉学をして、
原理原則に立ち返り続ける人の思想は、
だんだん純化され、削ぎ落とされ、
結果として苛烈になっていく。
遠方から、
かつて同じ視座で語り合った仲間が訪ねてくる。
しかしその時、
「君子たるもの」という境地に立った自分と、
かつての友人とでは、
もう話が噛み合わない。
でも、それは仕方がない。
変わってしまったのは、
相手ではなく、自分なのだ。
そうやって関係を断ち切るわけではないが、
自然と疎遠になっていく。
それでも人を恨まず、
理解されなくても怒らず、
自分の道を進んでいく。
この一節からは、
そんな孤独を引き受けた姿勢を感じた。
行動への接続(ひとつだけ)
人との関わりの中で、
「どうも噛み合わない」と感じたとしても、
そういうものだと一度受け止めてみる。
保留メモ
孔子は、
孤高の思想家だったのかもしれない。
それでも、
人間が嫌いだったら、
この文章の流れにはならない気がする。
遠くから友が来て、
「楽しい」と感じる感覚は、
たぶん本物だったのだろう。


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