【素材】
→ ラッセル『幸福論』 第1部 第2章
【引っかかった点】
この世が空であると思う頭でっかちな青年は、物を書こうなどと思わず、頭脳が動く余裕さえなくなるような肉体労働に従事すべきである。そうすれば、自然と書きたくなる。そして書いたものは、空ではなくなるだろう。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→ 皮肉なのか、忠告なのか。両方なのか。
【なぜ引っかかったか】
→ 散々、事実と考察の羅列の後、助言のような言葉が出たから。
【今の仮結論】
→ 現代人が幸福感を得にくい原因として、全てのものが、楽に手に入るから出るとラッセルは著述している。
「いっさいは空であるという感情は、自然の欲求があまりにも容易く満たされるところから生まれる感情である」と。
特に知識は現在では簡単に手に入る。
知識が集まれば集まるほど、人生の本質は空であると錯覚する。
人の生き方は、抽象化すると「生まれて生きて死ぬ」である。
一切は、無意味である。だって結局の死ぬのだから。
しかしこれが頭でっかちの発想である。
本来食事は、獲物を苦心して捕まえて得る物である。
その時は大変に至福であるはずだ。
そこまで行かなくても、自分で買い物して料理して食べる料理は、出来が悪くても想像以上にうまく感じる。
人生は、知識だけでは、味わい尽くせない。
知った気になったり悟った気になると、人生は空虚に感じるが、実体験を伴うと、人生は彩りが出てくる。
その時の感情を味わうことが幸せの第一歩である。
文学で恋愛を知るのではなく、実際に身を焦がす恋を味わうことで、本当の恋愛を知るのである。
その激しさが、恋愛である。
恋愛と婚姻もまた別物である。
衣食住に始まり、あらゆるものを知った気になると不幸を感じやすい。
しかし、本当に味わうと不幸は遠ざかるのだ。
【行動・意識への接続】
→ やったことないことは、やったことないと認める。
本で得た知識で物事を語らず、実際にやってみる。
登山の本を読んだら、リュックサックに水を入れて、少し歩いてみる。
登山の過酷さが分かるはずだ。
【保留メモ】
→ しかし、皮肉なのか忠告なのか、本当はどっちなのだろうか?


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