【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→日本の思想 Ⅰ 一 逆説や反語の機能転換
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
※「正しい」「共感した」ではなく
👉 引っかかった/ムッとした/違和感があった点
→逆説が逆説として機能せず、アンチテーゼがテーゼとして受け取られ愛玩される。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→この一文に集約されるなあ。
【なぜ引っかかったか】
(自分の経験・価値観・今の状況との接点)
→日本人の「強さ」と「破滅性」の根源を端的に表したきれいな一文だと感じた。
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→丸山氏の意見として以下の3点があるように感じる。、
・あらゆる概念(国民国家、民主主義、キリスト教等)は、日本の歴史の長さによって、迎合され、「過去にあったアレに似ている」と歪んで解釈される。
・迎合の中にあって、その成り立ちや原理は、重要ではなく、その上辺の便利さのみ利用される。
・なので、主義主張や概念などの原理原則に対する議論は、成熟することはない。時折起こるが、連続性はない。
なので、日本思想史と呼べるような連続した文脈を日本から見つけることは難しいとの指摘だった。
日本人の歴史的傾向として、環境の変化に形としてこだわらず適応するという特性がありそうだ。それほどに、日本という国は形に一貫性が無い。
江戸幕府以前は、日本列島を一つの国としても見ていなかった印象すらある。家制度を軸にした独立国家群の様相を呈した時期もあった。国家として一億火の玉になった時期もあった。
中央集権と地方独立が常にせめぎあい、状況に応じて柔軟に変化してきたことが、日本列島の歴史が、日本人的背景を持つ民族(単一民族とは思わない)を中心として長続きした秘訣かもしれない。
天皇も将軍も、統治者の地位に固執していないのもそういうことなのかもしれない。権威は残す。権威は利用価値があるから。
日本は国という概念すら、今を生きる人間の道具にする狡猾な集団なのかもしれない。
それならば、議会政治も民主主義も、キリスト教も便利な部分を迎合可能なおもちゃにして使う日本の姿勢も、今の政治的ゆがみも理解できそうな気がする。
しかし原理原則の議論が無いために、その道具の成り立ちや目的も明確としない。結果、痛い目を見るまでは、ブレーキも機能しないのが、日本なのかもしれない。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→立派な概念を自身の信条にすると、思想を長続きさせることができない。日本のように、自分なりのフィルターを以って、各思想のいいところを利用する。インドのカレーにこだわらず、カレーライスにしてもいいのだ。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→長続きしている国家は、基本的に似たようなスタンスでは?
原理原則の議論を重ねている国は歯止めがきいている?


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