むとうの読書ノート 『修養』|徳の貯蓄について

修養

今回の本

『修養』


引っかかった一文

徳は、誰でも貯蓄できる。
貯蓄した人は、世に対する不満なく、職業の不平もおきない。
なぜなら、何が起きようと胸中は喜々としているから。


最初の反応

徳とはなんなのか?
そしてそれは「貯蓄」できるものなのか?


なぜ引っかかったか

自分の中には、
「人には善を成す心と、悪を成す心がある」
という感覚がある。

だから日々、
少しでも善が多くなるように生きたい、
善をプラスにしていきたい、
そう考えてきた。

ただ、ここで立ち止まる。

そもそも「善」とは何なのか?
誰にとっての善なのか?
それは定義可能なものなのか?


今の仮結論

この本では、
善を積み重ねた人間は「徳の貯蓄」ができ、
徳を貯めた者は、どんな境遇でも喜々としている、
そう論じている。

だが現実はどうか。

日々、善悪の収支に悩み、
迷い、揺れ動く。
それはおそらく、人間であれば変わらない。

あるのはただ、
どんな境遇でも「自分はこう在りたい」という自分像を持ち、
そこへ向かって苦闘する歴史だけだ。

その挑戦は常に苦しい。
だが同時に、楽しい。

なぜなら、人は一生懸命な時にしか、
生きている実感を得られないからだ。


今日のワーク(行動への接続は1つだけ)

他責をやめる。
自分主体で考える。

状況ごとに、
「自分には何ができるか」
それだけを問う。

善悪の基準で考えない。
それは多くの場合、他人の基準だから。


保留メモ(考え続ける問い)

・神という概念があるから善悪が生まれたのか
・悪人とは、単に自分に不利益をもたらす存在なのか
・絶対的な悪は存在するのか

例えば、虐殺行為は明確な悪だとされる。
だが、人間は日常的に、
食・嗜好・管理のために
他の動物を大量に殺している。

その時、人間は絶対悪ではないのか?
もしそうなら、善は存在しない、という結論にならないか?


参考書籍

『修養』


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