【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→老子 第63章
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
→天下の難事は必ず易きより作(おこ)り、天下の大事は必ず細(ちいさ)きより作(おこ)る。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→「為す無きを為す、事無きを事とする。」
これがついに理解できた気がする。
【なぜ引っかかったか】
→この章が、全ての疑問の解答集に思えた
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→
今までの疑問
・為す無きを為す
・小を大とし、小を多とする。
・大を為さず、故によく其の大を為す
これが理解できなかった。
ニュアンスは何となく掴めても確信が弱かった。
しかし本章を通じて読み、聖人の本当のスタンスがわかった。
現代でも、評価されずらいが、いると助かる人材が浮き彫りになった。
簡単に読む。
「為す無きを為し、事無きを事として、味が無い事を味わう。
小を大とし、小を多とする。恨みには徳をもって報いる。難しいことは、それがまだ容易い内に計画的に解決し、大事になりそうなことも、小さいうちにやってしまう。
天下の難事は、必ず容易なことが原因で、天下の大事も小さい事が原因で起こる。
こういうことだから、聖人は、最終的には大を為さない。だからその大をよく成すのだ。
それを軽々しくできますと言えば、信は少ない。容易なことが多ければ、それは困難が多い。だから聖人すら、これらはやっぱり難しいとする。
だから、最後には難しいことはないのだ。」
私はこう読むが、伝わらないと思う。
つまり、ここから意訳する。
「仕事とも言えない小さい事をする。何事もなかったことが成果だ。味気ない事を味わう。
小さなことでも放っとけば大事になる。恨まれるようなことをすると、大きな復讐を呼ぶ、徳のある行動で、仲良くしておけ。難しいことは、簡単なうちに処理してしまおう。
天下の難事も、最初は容易いものから始まった。それが絡み合って、難事となってします。天下の大事も、微々たる問題から成長するのだ。
こういうことだから、聖人は、難事を解決するのではなく、小さなうちに処理してしまう。それだから、それは何事もなく平和なのだ。
それを軽々しくできますなんて言えない。そういう大事につながる些事は尽きることが無い。大変なことだ。
でも子の積み重ねで、最後に解決できない難事は起こらないのだ。」
このように意訳するとどうだろうか。
自分の職場にこのような人がいたら、みんな暇だから困るかもしれないが、最小限で最大級の成果を出す人物である。
何もしていないようで成果が出る人はおそらくこういう人だ。そして、何もしていないようで、危険な芽を摘む人もおそらくこういう人だ。こういう人がいると大事件は起きない。
究極の属人化である。
周りは何も理解できず、成果だけ享受する。
自分たちが上手くやったとすら思うだろう。
古の聖人がそのものかもしれない。第17章の太上とは、このような統治者なのだろう。
でもそういう人が、成果も取らずにニコニコしていたら誰だって勘違いする。
そして別の場所に移動してしまえば、その場は荒れる。事故る。
それで良かったのだろうか?
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→内容が理解できて、自分がそうだなと思ったらその人は要注意だ。もっと周りに目を向けよう。「為す無きを為す」人がいるかもしれない。その様な人を見つけたら大切にしよう。その価値がわかれば、人生は拓ける。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→皆がこの働き方をすれば、平和だが、刺激はない。そしてこの懸念も無駄である。皆はその働きをしないから。価値を理解されないこの生き方は、意味はあるのか?


コメント