【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→韓非子 有度第六
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
→法を奉ずる者強ければ、則ち国強く、法を奉ずる者弱ければ、則ち国弱し。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→なるほど、有力者を監視する賢きものを王との間に置くのか。
【なぜ引っかかったか】
→賢き者を置かずに、評価の基準として法を置くのか。
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→私の期待は裏切られた。
王の下の有力者たちを統括する賢者を置くのが有効との論調だった。賢者の条件と見定め方を聞くのが楽しみで読み進めた。
結局、賢者ではなく、人を図る基準として法を整備するようだ。
心底がっかりした。
法は、誰が作るのか?
基準を決めると、その目的にしか対応できなくなる。
環境の変化と合わせて、固定化された評価では対応できなくなる。
自然界で生き残った種は、強いから生き延びたのではなく、適応したから生き延びたのだ。
その基準は都度、状況に合わせて変えていかねばならない。
では、その基準は誰が規定するのか?
まさか、君主が決めるのか?馬鹿な。
君主が人を選べないから、法に任せるのに、法を決めるのが君主では本末転倒である。
では官僚が決めるのか?そうしたら結局有力者の良い様に基準は決められる結果になる。門閥が強くなり、王の権力は弱くなる。
誰がどのように法を運用するのか?
固定化された法では、変わりゆく状況の変化に対応できない。
変化させるならば、法は変化させる人間の都合の良い様に変わっていく。
法の変更権は権力になる。
結局、王が思うように振舞う状態と変わらない。
賢明な王が、優秀な大臣を運用出来て初めて法が活きる。
彼が死ぬと法も死ぬ。その連鎖から抜け出す方法はないのか?
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→実は2000年たった日本国の法も解釈の余地は多く、法の行使の為には、裁判で戦う必要がある。抜け道は多い。解釈次第で、ひどいことをされる可能性がある。
そういう抜け穴を攻めてくる悪人は実は多い。法も公権力も盤石ではない。同じ様に抜け道を攻めようとすると、人生に無理が生じる。とてもじゃないが、巨大な法律のすべてを理解などできない。しかもこの法律はよく修正されるのだ。追いかけるだけで人生は終わる。
一番コスパの良い対策は、品行方正に生きること。これ以上の方法はない。法的逸脱をしたとき、このような悪人から簡単に搾取される。それで勝つには修羅道に入るしかない。そして、それは破滅につながりやすい。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→韓非子は、まだやれるはず。ここからどう法を駆使して国家を運営させるのか、その理論を期待している。


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