むとうの読書ノート 論語 為政第二 三

読書ノート

※本記事は、読書中に「正しい/共感した」ではなく
引っかかった点・違和感・思考の途中経過をそのまま記録した読書ノートです。


【素材】

論語 為政第二 三


【引っかかった点】

政治によって導き、刑罰によって統制すると、免れたのを幸いにして、恥ずかしいとも思わない。
徳によって導き、礼によって統制したら、人民は恥ずかしいと思い、正しくなる。


【最初の反応】

子に対する態度はそれでよいかもしれないが、
背景の異なる人が集まる国という規模では、徳と礼は浸透するのだろうか。


【なぜ引っかかったか】

理想なのはわかるが、徳がそもそも定義されていない。


【今の仮結論】

仁もそうだが、本書において「仁であれば~をしない」と、
後の神学における神の定義のように、否定を重ねることで
そのものが何であるかを浮き上がらせる手法をとっている。

きっと明確に、「徳とは何か」と表す言葉は無いのだろう。
老子の「道」にも近いものを感じる。

そういう類のものなので、徳を身に着けるには、
孔子のような徳を体得した人間にずっと付き従い、
教えを乞う必要があるようだ。

私は、法と執行機関、刑罰が理にかなって初めて
安定した国家運営ができると考える。
この方法では、運営する人間が育たない、足りないのではないか
と思ってしまう。

徳という定義できないものをフレームに据えて、
徳を身に着けた孔子のような人間が、
礼というマナーを国民に徹底させたとしても、
結局、身分という制度が出来るだけではないか?

というのは、徳にどれだけ近いかは測れない。
けれども、ある程度、基準を設ける必要がある。
なので、カリキュラムを組み、それに沿う教育をどの程度受け、
試験を合格したかで、階級が決まっていく。

その結果、身分が強化される。

そもそも、それが孔子の狙いなのか?
身分を固定化して、各階層ごとの身分にある礼儀作法を決め、
日常を固定化する。
その礼儀作法は、自然とその身分と職業が成り立つようにする。

結果、武に頼らず、人は代々続く家業に専念でき、
武は中央に集約される。

徳は「~をしない」のである。
トップたる徳の体現者も、徳という基準に合うこと以外
できないように、礼式が固定化される。

結果、国内は平和になる。

これも一つの方法なのかもしれない。
ある意味、役割を分担して、その役割を
何世代もPDCAを回させることになるのかもしれない。

礼の固定化が無ければ、これは成り立たないが。


【行動・意識への接続(1つだけ)】

今あるルールが何のためにあるか考える。

そこにある思惑が分かれば、自由度は増すかもしれない。
例えば、赤信号はなぜ渡ってはいけないのか。
宅建法はなぜできたのか。

考えると、歴史や人の考えは見えて面白い。


【保留メモ】

どうやら「仁」も読み進めて、
「仁」でないものを学べば「仁」の形が浮かび上がる構造のようだ。

枠組みが分かったとして、
中心の一番大事なものは、わかるのだろうか?


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