【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→老子 第42章
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
→注釈 七 人之所悪 「悪」は嫌悪の意味。この句以降は前半部分と文章がつながらず、39章の錯簡という説がある。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→つながるのでは?
【なぜ引っかかったか】
→万物には陰陽があり、それが揺れ動き調和する。
人は、弧で寡少で利益を生まない物を憎むが、
その性質をもつ、王侯になりたい。
まさに陰と陽が交錯する事例じゃないか?
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→以上のところを以て、先に出た文が教訓で在り、
老子は、その考えを教え伝える師となりたいと読めるのでは?
大切なのは、つながるかどうかではなく、老子のここでの
伝えたいことは何なのか?という事ではないか。
一旦、私なりに全文を意訳する。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を
生じさせる。万物は、”陰”を負い、”陽”を抱き、揺れ動く
ことによって、調和を作る。
人々の憎むところは、ただ孤独で寡少で穀を為さない(不穀)
つまりは、生産性のない物である。だが、王侯貴族は、
孤独で、過小で、生産性がないが、皆がなりたいものである。
だから、物というのは、損をしたとしても益があることも
あるし、益があると思っても損することもある。
このように、昔から言われている教訓を、私もまたあなた達に
教えていこう。強暴な者は、自分の死に方を選べない。
こう言う教訓を、教えの土台にしたいものだ。」
私の意訳は以上です。
少し自分の解釈に寄せすぎたかもしれません。
ただ、物事には良い部分も悪い部分もあり、それが調和されるという事。
つまりは、外面だけで判断するのは危険なのかなと思います。
王侯貴族の華美な生活に、皆憧れるけど、
本質は、孤独で在り、希少な地位である故に、権力闘争で狙われ
死と隣り合わせで在り、百姓よりは生産性は無く、
生きている意味を感じづらい立場なのかもしれません。
一方で、老子のいう「道」に適った生き方をすると、一が二に
二が三に、三が万物になる、生産性の塊のような生き方になる。
一見素朴で、得る物のない「道」のような生き方は、
「陰」の様で「陽」であり、そして揺れ動き調和していく。
老子はそのような教訓を後世に伝えたかったのかもしれません。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→SNSに毒されると、整形やステロイドによる筋力増強や
富貴である事を示すための豪遊が、正しい事の様に感じます。
けれども、生き方に無理が生じると、調和が乱れます。
無理にゆがめた体は、日が経てば大きな歪みが表に出ますし、
薬品で歪めた、体のバランスは、結果、それなしでは
機能できないレベルまで、体を弱くします。
ステロイドの悪いところの一つは、自分で必要なホルモンを
生成できなくなることと言われています。
豪遊も慣れると、もっと強い刺激が必要となり、平穏で
価値ある時間を楽しめなくなります。
強い刺激の行き着く先は、身の破滅の絡む遊びになります。
生きるか死ぬかのスリルに勝るものは無いからです。
見栄えの良さを遠ざけろとは言いません。
ただ、長い視野でそのような人々がどうなったか、
これは、短いスパンで追ってもわかります。
銀座でずっと遊んでいる人はごく少数で、入れ替わりが激しい。
そして、歴史の人物を見れば、学べます。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→「道」の具体的な学び方、追求の仕方を追いかけても面白いかも。

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