むとうの読書ノート 韓非子 主道第五

読書ノート

【素材】

(本・記事・章タイトル・著者など)

→韓非子 主道第五

【引っかかった点】

(引用 or 要約を1〜3行)

→道とは万物の起こる始めであり、是非の定まる基準である。

【最初の反応】


(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)

→それは老子の言う「道」ではない。

【なぜ引っかかったか】

→老子の論旨を無視したまま道を説き、中身を法家の理論にすり替えている。

【今の仮結論】


(今の段階での整理)

→当初、之を以て韓非子を嫌いになった。

 道は、定義でき無い故に道なのだ。基準を定めるものではない。
 
老子 第2章にて、美も用も「正しい」基準を持つことを良くないと言っている。道は、基準ではない。

 その後も、老子の言葉をうまく組み込み、君主の在り方を説く例えば。「君主は自分の望むことを外に出してはいけない」、これは、老子も随所で言っている。例えば第36章「国の利器を以て、人に示すべからず」とある。つまり老子も、「国がどのような能力を求めているかを国民に示すな」と言っている。

ただ、韓非子と老子は意図が明確にちがう。

韓非子は「君子が望むことを言わないからこそ、臣はその言葉に左右されず、己の力を発揮できる。君子はその能力を見極め、適所に配置できる」とした。

一方、老子は、国民が樸であることを理想とした。そもそも利器として、国家に貢献して死んでいく人間を減らすことを意図していた。だからこその先の言葉が生まれた。

老子の道は、樸の理論。つまり人が人として生きるための理論である。その樸の理論の対極になるのが器の理論。つまり、人が役割を為す存在になることだ。

この話では、「君主は、法を順守し、判断基準を明確にし、人員を適切に見定め配置し、大事に至る前に、結果を見て、人材を判断し、切り替え、適切に賞罰を与えよ」とした。

一方で、老子の言う君主の「無為を為す」は違う。
何か、大きな問題になりそうなことは、小さな芽になるまえに摘み取る。なので、なにも起きていないように見える。その様な状態を君主自ら行う。だから民は、自分たちが生活を作り、営んでいると錯覚する。そのような君主を聖人と言っている。
そもそも老子の世界に臣や統治機構は不要なのだ。

韓非子は、「樸の理論」たる「老子」を「器の理論」に変換して君主に取り入ろうとした。

この韓非子の対話は、「老子の道」という当時の権威を笠にして、自分の法家理論を売り出しただけにすぎない。
韓非子にとっては別に「老子の道」でなくてもよかったと思う。

現代風に言うと「ひろゆきが言っていた」「科学的権威の誰々が言っていた」に近い。

そして何より、韓非子の引用は、下手な老子の解説本より、本質的な構造をつかんでいる分、質が悪い。

韓非子は、老子は一通り読んでいて、老子は、国家運営に関して現実的ではないことを適切に理解している人物なのがわかる。

その後もパラ読みしたが、現実的に国家の中で如何にふるまうべきか、優秀な部下をどのように管理していくかなど、国家が生き残るために苦心した痕跡が見える。

四の五の言ってられない状況で、使えるものは何でも使って、この戦国の世を終わらせる理論「法家」を国家に浸透させる一歩が、老子の道であったのは何とも皮肉ではないか。

老子は、第57章で「天下に禁令が多くなり、民はより貧しくなる、民に利器(国家観に合う優秀な人材)が多いと国家の行く先はますます暗い。人々がより技巧があればあるほど、奇物(兵を使う事か?)が起こり、法令はますます厳格になり、盗賊が増える。」と言っている。秦が中華を統一した後、この通りになり崩壊した。

老子はこうなる未来を予見した。

しかしながら、秦は、法を軸に天下を取った。
器としての理論は、現代日本でも天皇と国民の間に統治機構として、内閣、国会、宮内庁などとして残っている。

現代につながる器の理論は、無視して生きていけるものではない。
学ぶべき理論である。

【行動・意識への接続(1つだけ)】

(明日から意識することを1つ)

→「何々が言っていた」という枕詞は結構強い。そして、人が自分の意見を相手に押し付けるときに特に使いやすい理論だ。その言葉が枕詞に出てきた瞬間、話は聞かなくていい。本人も言っていることを理解してないことが多い。その場合は、主語と述語が何かだけ抽出すればいい。それ以外に価値のある情報はおそらくない。

【保留メモ】

(今は結論を出さない問い)
→老子でも、孔子でも、孫子でも拾えていない、国家の歪みを、韓非子が拾っている。

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