素材
(本・記事・章タイトル・著者など)
→老子 第34章~第37章
引っかかった点
(引用 or 要約を1〜3行)
→之を鎮めるに無名の樸(あらき)を以てす。
最初の反応
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→大道の大きな流れからなぜ樸?
なぜ引っかかったか
(自分の経験・価値観・今の状況との接点)
→大道の摂理を守り、化した欲を鎮めるのはなぜ樸なのか?
今の仮結論
(今の段階での整理)
→まず簡潔に読む。難しいところは流す。
- (34)大道は、氾濫する、右往左往する。万物は、これを頼みとして、成長するが、大道は辞去する。功があっても所有しない。万物を養っても、主であること主張しない。常に無欲なので、小と名付けるべきだ。万物は最後には大道に還る。しかし大道は主にならず。これを大と名付けるべきだ。 これを以て、聖人がよく大を為すが、その為した事が終わっても自ら大を為したと言わない。それ故に大を良く為すのだ。
- (35)大いなる形をしっかり持つなら、天下は進む。進んでしかも害が無い、すなわち平らかで穏やかだ。楽しさや餌には人は立ち止まる。基より、道の言葉の出す音は、淡々として味気ない。これを見ても見るに足りない。これを聴いても、聞くに足りない。これを用いようとしても身につくものでは無い。
- (36)これを縮めようと思うなら、必ずしばらく之を張れ。之を弱めようと思うなら、しばらく之を強めよ。之を廃そうと望むなら、これをしばらく興せ(勢いづかせろ)。之を奪いたいなら、しばらく之を与えよ。これを微明という。柔弱は剛強に勝つ。魚は淵より出てはいけない。国の利器は、人に示してはいけない。
- (37)道は常に為さ無い。しかしながら為さない事は無い。王侯貴族が、よく之を守れば、万物は自ら変化する。変化にして欲が起これば、それまさにこれを鎮めるには、無名の樸(はく・あらき)を以てする。無名の樸は、それを望まない。望まないし静かだから、天下が自ら定まっていく。
疑問点
- (36)の行為がなぜ、微明と呼ばれるのか?
- 柔弱はなぜ、剛強に勝てるのか?(36)
- なぜ、利器を示してはいけないのか?(36)
- なぜ、鎮めるのは樸なのか?(37)
考察
① 明とは、自分を知ることであると老子は(33)で述べている。では、微々たる明なのだろうか。
そう考えると、これは内省の初歩なのかもしれない。内省の心得なのかもしれない。楽しようと思えば、先に楽に感じるように鍛錬しておくみたいな話か。曲がれば全くなのだ。
② 剛強一辺倒より、柔弱を守って谷となる生き方の方が長く続いて強いのかもしれない。(28章参照)
剛強で在り続けるためには、柔弱を守る必要があるのだ。そうでなければ、徳は離れていく。
③ 常に器であるより樸であることを求める老子の考えを反映している。そもそも樸とは何か?
- 漢字ペディアより ・樸(あらき):①あらき(荒木)。切り出したままの木材。きじ。②ありのまま。飾り気がない。「樸直」
- 精選版 日本国語大辞典 ・荒木(あらき):① 切り出したままで、まだ皮をとらない木。加工していない木材。② のこぎりでひいたままでかんな削りをしていない木材。③ 雑木。
古代では、「樸」=「手を加えていない木材としての木」→「まだ生きている木」の可能性もある。
丸太と解釈して違和感を感じていた。丸太は、丸太として使う、加工して使う以外の用途が無いからだ。
樸が無加工で生きている可能性があるのであれば、より解釈が鮮明になる。
④ 老子は、樸は樸のまま生きていてほしいのだ。自分が木であることを自覚して木のままで居てほしいのだ。国家の都合で、切り出されて器になる姿を見たくは無いのである。
老子にあって、樸の対義語は器である。器は用途が決まっている。有名な器が欲を鎮めたとして、器はその用途しかないので、その場にとどまり続ける。
大を為すには、そこから去り、自然の摂理に従う必要がある。
器が、そこにとどまれば、自然の流れは歪む。大は為されない。
そこで必要なのは、無名な樸である。樸は、器としての仕事を望まない。望まないからこそ、ことを為した後、木としての生きる事に戻る。居なくなる。
だから、大が成される。自然の流れが循環する。
人は、器となってはいけない。器としての仕事をしても、樸でなければいけないのだ。
行動・意識への接続(1つだけ)
自分が器になっているな(役割に固執してしまっているな)と感じたら、樸に還ろう。
- 「できるできない」で自分を評価せず、一人の人間として、どう感じるかを考える。
- それを相手にも適応する。つまりは、相手を上司や妻などレッテル貼りせずに、一人の人間として、フラットに接する。
- これを積み重ねれば、自分も一人の人間として扱われる。樸に戻りやすい環境が作れる。
保留メモ
器となってしまったら樸に戻れないのか?


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