【素材】
ラッセル『幸福論』
第1部 第6章
【引っかかった点】
ねたみは、悪いもので、もたらす結果はおぞましいものだとしても、完全に悪魔のものだとは言えない。ねたみは、ある意味では、英雄的な苦しみの表れである。
【最初の反応】
ねたみの処方箋は幸福である。
しかし人類にはねたみは克服できない。
人類は進化すべきだ?
【なぜ引っかかったか】
幸福なものは、ねたまない?
【今の仮結論】
ラッセルは大枠から、不幸の原因を定義してきた。
地に足着いた生活では得られない刺激に依存すること、競争の原理に取りつかれること、そして心配事に振り回されていること。
地に足付けて、目の前のことに集中する。
退屈な状態こそが自然であり、淡々と生きることで、大きな創意工夫が生まれる。
健全な楽しみ、健全な人間関係があり、幸福につながると説いた。
おそらく、ここからはラッセルにしても、どうしていいかわからない、根源的な人間であれば避けられない問題にぶつかったのでは、ないだろうか。
まず、「ねたみ」は幸福な人間であっても起こると思う。
そして、人類は例え進化しても、本質的に変化して別の生命体にならない限りは、「ねたみ」を卒業できないだろう。
ねたみは、絶対にあるもので、大切なのは、「どう扱うか」だからだ。
「ねたみ」の処方箋は、「幸福」ではない。
「幸福」であっても、ひとは羨む、ねたむ。
必要なのは、「満ち足りる」ことは決してないと認識する「知性」と、
そのことが他人事ではないと認識する「自覚」ではなかろうか。
【行動・意識への接続】
なんでも自分の事のように一喜一憂しない。
他人の人生は他人のもの。
他人が金持ちであろうと、自分には一円もお金は増えないし、関係ないのである。
大谷翔平が、若くして大金を稼ぎ、野球では前人未到の功績があろうと、自分の人生には何も関係ない。
ただ、その積み上げてきた姿勢を参考にしてもいいだろう。
あの9マスの曼陀羅図だったか。
夢を達成する為にひたすら文字にして自己認識を強化した。
あのように、自分にできることを積み上げれば、自分なりの人生を豊かにできるかもしれない。
【保留メモ】
むしろ強烈なねたみが、人類をここまで発展させてきたのではなかろうか。
ねたみを生む現代社会の構造は、そのように意図してつくられて、それが消費を促し、実態以上の経済を成り立たせているのでは、なかろうか?


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