むとうの読書ノート 老子 第33章

老子

【素材】

老子 第33章

【引っかかった点】

死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し

【最初の反応】

訳:亡びることのない道のまま生きた者は長寿である。

ん……?

道に沿って生きる=長寿?

道に沿って生きる目的は長寿なのか?

細く長く生きる事が「道」ですか?

【なぜ引っかかったか】

死して=すでに死んでいる
亡びざる者=亡びていない者
寿(いのちなが)し=命が長い

①「すでに死んでいる状態の者」と

②「亡びていない者」は、おそらく主体が違う。

①はおそらく人間。

②はそれ以外の何か。

そして「命が長い」のは、①ではなく②だ。

【今の仮結論】

私は、これを老子の生き方の目標と捉えて感動した。

実際に成し遂げているからだ。

本文を簡潔に読むと、次のようになる。

人を知る人は智です。

自分を知る人は明です。

人に勝つ者は、力があります。

自分に克つ者は強いです。

足るを知る者は富みます。

あえて頑張って行う者には、志があります。

その志を失わない者は、長続きして、

(その者が)死んでも、亡びないモノ(志?)は生き続けます。

整理すると、

人を知る → 智
自分を知る → 明
人に勝つ → 力がある
自分に克つ → 強い
足るを知る → 富む
不断の努力 → 志がないとできない
長続きする → 志は生き残る

最後は、老子の願望のようにも感じた。

老子は死して、言葉を残した。

そしてその言葉は、2000年以上経った今でも読まれている。

老子はおそらく、

人を知るより、自分を知ることを選び
人に勝つより、自分に克つことを選び
足るを知り満足するより、志を全うする困難を選び

言葉を残したのだろう。

つまり、

内省から長期的な目標を設定し、

克己を繰り返した、泥臭い老子の生活が見えてくる。

足るを知るチャンスはいくつもあったはずだ。

だが老子は、それを良しとしなかった。

そして死して後も、人に読み継がれる言葉を残した。

老子に遠く及ばない私は、

彼のその志への真摯さに、ただただ畏敬の念を抱く。

【行動・意識への接続】

内省と克己。

これは老子の選んだ戦略であり、

目的が「道という思想を世に伝える」だったため噛み合った。

実際、

内省と内省による自分のための目標設定、

そして克己の繰り返しによる成長は、

持続可能かつ強力な生存戦略となる。

これは他者との比較がないため、

己に勝ち続ければ、

ガラパゴス的な成長につながるからだ。

ただし、

その成長の先に何があるのか、

それが社会で活きるのかは、

他者への理解 力の行使 足るを知る姿勢

これらが左右する。

老子はそれを理解したうえで、

「自分はこれを選ぶ。

 しかし、生きていくために重要なものはこれだ」

として、これらの項目を挙げたのだと思う。

事実、老子は尖った生き方をした。

それをすべて真似る必要はない。

智、明、力、強、富、志。

この6つの要素で自分の生き方を見つめることが、

より良い未来を生むのではないだろうか。

今、何かに苦しんでいるなら、

自分に何が欠乏しているかを考える指標にも使えそうだ。

【保留メモ】

老子自身は、

道に沿うより、道を広める生き方を選んだ気がする。

老子は、樸ではない気がする。

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