むとうの読書ノート 論語 為政第二 十九

読書ノート

「真っ当な政治で民は心服する」という当たり前が、なぜできないのか


【引っかかった点】

真っ当な方法で政治をすれば、民は心服する。
無茶をすれば、民は心服しない。


【最初の反応】

当たり前だよなあ。


【なぜ引っかかったか】

その「当たり前」が出来ないのが、世の常だからだ。


【今の仮結論】

政治は、利益誘導の戦いである。
政治家の仕事は、自分の陣営へ利益誘導を如何にするか、という点に集約される。

君主は、そういった政治家たちを束ね、
国家運営をするために、一つの方向へ向かわせる必要がある。

なので、真っ当な方法で国家運営を行うのは、実はかなり大変である。

この時代も今の時代も、
国民への利益誘導を率直に行う政治家はいない。
どうしても政治家は、支援者の利益を保証することで、
支援者と持ちつ持たれつの関係になる。

田んぼ一つ、家一つでも、多くの利害関係の調整が必要だ。

結果として、

  • 今回はAさんに泣いてもらう
  • 次回はAさんの利益を優先する

こうした話が起こりがちになる。

その約束を破ると、
金と血が巻き上がる闘争になる。

結果、真っ当な政治は行われず、
道理を曲げた無茶な政治が行われる。

この様子を見て、
いつの時代も民はがっかりするのである。

君主制でも民主主義でも、
政治というものがある以上、この構造は変わらない。

大前提として、
君主と言えども簡単にできない、
というか、ほぼ不可能なのがこれである。

ということは、
民が君主を心服するというのは無理なのか。

遠回しに、
「あきらめろ」と言っているのだろうか。


【行動・意識への接続】

人に現実を見せるために、
正論で遠回しに言うのは、良い方法かもしれない。

例えば、友人が投資詐欺に引っかかっていた時、

「俺はよく知らないけど、
利回りが10%を超える話は、基本的に詐欺だって聞いたよ」

と言えば、多少は効果があるかもしれないし、
自分が誘われる可能性を減らせるかもしれない。


【保留メモ】

孔子は、
「君主が部下に、民に、理解される」
という甘えを捨てろと思っているのか。

きっと、思っているのだろう。

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