むとうの読書ノート 孫子 勢篇第五 二

孫子

【素材】
→ 孫子 勢篇第五 二


【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
引っかかった/ムッとした/違和感があった点

うまく奇法を使う軍隊では、その変化が天地の動きのように窮まりなく、長江や黄河の水のように尽きることが無い。


【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)


何の話なのこれは?
奇策は尽きることはない? だから何?


【なぜ引っかかったか】
(自分の経験・価値観・今の状況との接点)


ありがたい表現には見えるが、現実の感覚と結びつかない。
読めば読むほど、言葉だけが一人歩きしているように感じた。


【今の仮結論】
(今の段階での整理)


私は、孫子は「奇策を窮めよ」と言っているのではなく、
むしろ「奇策を窮めようとするのはやめなさい」と言っているように読めた。

戦いは、正攻法で相対し、奇策でもって勝つ。
しかし奇策というものは、天地の広さのように限りなく、大河の流れのように尽きることがない。
出ては消え、消えては出てくる。
人間の感覚では、極めつくせるものではない。

戦いの勢いは「奇正」に過ぎない。
「奇正の変」は、あえて窮めようとしてはいけない。
それは捉えようのないものであり、誰も極めきることはできない。

──私はそう読んだ。

私は、奇策は格闘技における「飛び蹴り」のようなものだと思っている。
飛び蹴りは、素人が使っても威力が出ない。
しかも失敗すれば大きな隙をさらす。
鍛錬を重ね、正攻法の技術のやり取りができる者が、刹那の中で使って初めて意味を持つ技だと思う。

これと同じように、孫子は戦いの前の準備を何度も重要だと言っている。
数的比較が大切だとも言っている。
つまり、まず太刀打ちできる実力が何よりも必要だということだ。

奇策に頼る作戦は、博打になる。
国家の存亡をかける戦争で、博打を打つべきではない。

「奇正の変」、すなわち戦いの中での効果的な兵の運用は、
その時々の状況で最適解が異なるため、あらかじめ考えきれるものではない。
準備しきれるものではない。

だからこそ、そのような不確実なものに国家の命運を賭けるような状況を避ける。
それが孫子の本旨なのではないかと、私は考えている。


【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)


当たり前のことを当たり前にやった方が強い。

何か失敗した時も、下手な嘘をつくより、
普段から誠実にやっている人が普通に謝った方が問題にならない。
むしろ信用につながる。

詐欺師は、そうやって信用を積み上げ、最後に一気に騙す。

だからこそ、他人をどこまでも信用しないことも、正攻法の一つだと思う。

人に金銭を預けて儲けようとすることは、もっともやってはいけない奇策だと思う。
適正価格を知ることも、正攻法である。


【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)


適切な「奇正の変」を駆使するにはどうしたらよいのか?

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