むとうの読書ノート 日本の思想 Ⅰ 一 無構造の伝統の原型としての固有信仰

日本の思想

【素材】

(本・記事・章タイトル・著者など)
→日本の思想 Ⅰ 一 無構造の伝統の原型としての固有信仰


【引っかかった点】

(引用 or 要約を1〜3行)

※「正しい」「共感した」ではなく
👉 引っかかった/ムッとした/違和感があった点

→神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、先に述べた日本の思想的「伝統」を集約的に表現している。


【最初の反応】

(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)

→神道ってそういう信仰の形なのか


【なぜ引っかかったか】

(自分の経験・価値観・今の状況との接点)

→ずっと神道に疑問を持っていた。


【今の仮結論】

(今の段階での整理)

→神道は、形式こそ決まっているが、中身のなさをずっと感じていた。神話も歴史的考察の域を出ないように感じている。

形はないが、形が無い故に、大器としてあらゆる思想や教義を矮小化し道具化して内包していまう。

日本においては、仏陀もキリストもアラーも八百万の神に内包されてしまうのもここが起源であると思う。

偶像が無く名もないところが、旧約聖書の神「ヤハウェ」に似ていると感じていたが、経典も教えも固定化されずにいることが、神道の異質さを物語っている。

何もない故に、あらゆるものを取り込める。
日本の伝統は、神道と同じく、全てを道具化する。

だから日本民族なる者はどこまでいっても戦える。

ビジネスが最先端ならビジネスを、西洋化とそこに伴う機械化や組織化が強いなら、西洋化を。帝国主義が強いなら帝国主義を。民主主義が強いなら民主主義を。

日本的伝統がすべての先端を模倣して、道具化し、改良する。
そして不要な部分は放棄する。根っこの原理や原則、成り立ちは日本的伝統の中で必要ではないからだ。

日本人は発明する力が無いと言われているが、一番の発明はこの神道的価値観かもしれない。


【行動・意識への接続】

(明日から意識することを1つ)

→自分というものに固執しすぎない方が良い。若いうちは、なんでも柔軟に取り込んだ方がいい。といわれるが、話半分にした方がいいと思う。

結局、熱中できるものは、始めたばかりでも熱中する。違和感のあるものは、ずっと違和感が残る。

合う合わないの基準をもって、早めに撤退の判断できるようにフィルターをつくる。私は、熱中できるかできないかだと思う。


【保留メモ】

(今は結論を出さない問い)

→日本は各論の原理原則を放棄しているが、それでももっと大きな土台があるのではないか?


📘 書籍情報

本記事は、丸山眞男『日本の思想』を読みながら考えた読書ノートです。

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