むとうの読書ノート 老子 第57章

老子

【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→老子 第57章

【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)

→正を以て国を治め、奇を以て兵を用い。事無きを以て天下を取る。

【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)

→孫子を読んだのか?

【なぜ引っかかったか】
(自分の経験・価値観・今の状況との接点)

→孫子「戦いは奇正」、老子「国は正で治める、兵は奇で使う」少し違うね。

【今の仮結論】
(今の段階での整理)

→少しではなく大きな違いである。
 老子としては、奇はあまり用いないのではないか。使うことをできるだけ少なくし、正ですら減らし、為す事が無い状態で天下を取る。天下を取ると言っても、自分のモノにするのではないのだろう。「保つ」に近い気がする。この姿勢は孫子とは明らかに違う。

以後簡単に読んでみる。
「正をもって国を治め、奇をもって兵を使う、する事無きをもって天下を取る。なぜ私がそれを自然だと思うのか。以下の理由である。
 天下に禁令が多くなり、民はより貧しくなる、民に利器(国家観に合う優秀な人材)が多いと国家の行く先はますます暗い。人々がより技巧があればあるほど、奇物(兵を使う事か?)が起こり、法令はますます厳格になり、盗賊が増える。
 なので、聖人は「私が為す事はないが、民は自ずと変化して、私が静かであることを好むと、民は自ら正しくなり、私が事を起こさないから、民は自然に富み、私に欲が無いから、民も樸でいるのだ」と言う。

聖人とは古の天帝のことを言うのかもしれない。舜とか。
そこらへんは私は詳しくないからこれ以上言及しない。

秦の始皇帝が、帝国を築いたとき、盗賊は一気に増えたと聞く。
命令違反でも、税の未納でも、なんでも法律違反で死罪、または永遠の労務を課されたからだ。

始皇帝の時代は、法家の最盛期である。
法律を国の要とした秦が苛烈な戦国時代を勝ち抜いた。
しかし、始皇帝の世は盤石にはならず、彼の代が終わると瞬く間に崩壊した。

押し付けた法律に、一定の理屈があっただろうが、恨みを買いすぎたのである。

老子は、このような展開を予測していたのだろう。
ただ、老子の時代は、聖人の統治が適応できな程、世の中が歪んでいた。

もう、統治者と民が対称的に存在する時代ではなく、間に統治機構が存在し、器たる官僚が運営している国家がある。

人間が樸のまま、いることができる素地は、老子の時代から今に至るまで、ほとんどない。

世の構造は、人を樸のままでは受け入れない。器となり用を為す事を要求する。そして、人も、器として用を為し、役割を得ることで、社会で生きていけることを受け入れる。

そこから外れて樸でいる生き方は、現実離れしすぎている。
今の日本で、聖人が内閣総理大臣になったとしても、民が樸でいることはおそらく不可能だ。

【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)

→器の役割を果たすことと、器で在ることは似たようで違う。
 今の役割(母、妻、嫁、従業員)が辛くて耐えられないとしても、心まで器に成ってはいけない。あなたは、あなたである。
あなたが、あなたでいられる瞬間はどこかであるはずだ。その瞬間が何なのかは、人によって違う。けれどもそれを理解すると、生きていくのが楽になる。器の役割は、役割でしかないから、脱ぎ捨てることも出来ると理解できるからだ。

【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→老子が正しいわけでも、孫子が正しいわけでもない。論語が妥当というわけでもない。正しいと思うと正しくなくなる。妥当も前提が変われば妥当でなくなる。

不動で不変の真理というモノは無いのではないか?

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