むとうの読書ノート 老子 第22章

老子

【素材】

書名・章
老子 第22章


【引っかかった点】

曲がれば則ち全く

※「正しい」「共感した」ではなく
👉 引っかかった/ムッとした/違和感があった点


【最初の反応】

「全く」とは?


【なぜ引っかかったか】

「天寿を全うする」という意味らしい。


【今の仮結論】

※ 正解を出さなくていい
※ 後で変わってOK
※ むしろ変わる前提

私は老子ほど成熟していないので、
「曲がった結果が天寿を全うする」と言われても、正直つまらない。
解釈をそのまま「全うする」で考えてみる。


章全体をざっくり読むと

曲がれば全うする、
かがめば後に真っ直ぐになれる、
くぼめば貯められる、
破れれば新しくできる、
手元に空きがあれば(少なければ)取れる、
手元がいっぱい(多ければ)取れない。

これをもって、聖人は一つを抱いて、天下の手本になる。

簡単に読めるけれど、解釈は難しい。
何を曲げれば、何が「全う」できるのか?


私なりの解釈

私が曲げるべきものは、
頭でっかちなまま膨らんだ理想を基に作った計画や行動だと思う。

かがんでみれば、真っ直ぐな状態も理解できる。
足りないとわかれば、貯めて備える。
計画が破れれば、つまりこの計画ではもう目標を達成できないとわかれば、作り直せる。

そうして進むなら、
一つ大切なものを抱えていればいい

それが聖人の生き方なのかもしれない。


「道」と「乳母」について

おそらく「一つ」とは「道」なのだろう。

ただし、その「道」は、
嬰児にとっての乳母のようなものではないかと思う。

母乳が嬰児を成長させるように、
人の本質的な成長を促すもの。
それが「道」である可能性が高い。


曲がることの意味

何か本質的な理解を得るために、
そして本質的な計画を作るために、
何度でも、何度でも考えを曲げていい

泥にまみれて、
できることとできないことを理解して、
計画を修正しまくって進めば、
きっとどんなことも「全う」できるのではないだろうか。

逆に、
当初の計画のまま突き進めば失敗する。
失敗に目をつぶってそのまま進めば破滅する。

つまり、「全う」はできないのではないか。


【行動・意識への接続】

※ 明日から意識することを1つ
※ 小さくて具体的でOK

自己啓発本を読むより、
三食しっかり食べて、よく眠る。
挨拶をし、会話を楽しみ、人の嫌がることをしない。


【保留メモ】

※ 今は結論を出さない問い

私にとっての「道」とは?
私にとっての「乳母」とは?

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