むとうの読書ノート 老子 第10章

老子

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→老子 第10章

引っかかった点

之を生じ、之を畜(やしな)い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。之を玄徳と謂う。

「玄徳!」
劉備「玄徳」はここからとったのか!


最初の反応

よく見ると言っていることは育児そのものだなあ。


なぜ引っかかったか

よく考えると、

  • 生まれた子を、養い育て、自分の所有物と思わず、子が成長しても(金銭的援助などを)期待しない。
  • 親ではいるが、指導者ではない。

育児的な文脈で解釈した。
子は、自立する必要があるからだ。
つい溺愛したくなるが、適切に見守り、困難に立ち向かう力を身に着けさせる必要がある。

口で言うは簡単だが、私も一児の父である。まだ4カ月。
今の子の可愛さをみると簡単にできることではない。
少しでも子に害があることをした人間は、排除してしまいそうだ。しかし、それは子の将来のためにならない。

育児と範囲を狭めて解釈したが、この姿勢はどの組織にも、どの成果にも当てはまる。

  • 会社は社会の公器である。私物化してはいけない。
  • 事業もどこまでも私物にはならない。
  • 関係している人間が必ずいるからだ。
  • どのような成果も関係する人がいて初めて意味を成す。
  • 自分一人で為したと思うものは、意味をなさない。
  • その成果に留まろうとすると人は歪む。成果も歪む。
  • 水と同じで、物事は停滞すると腐る。

子は、家で養われ、自立して出ていく。
自立の先の選択肢が家を継ぐ、家に残るでもいいが、自立した考えを持ち選択することが重要だ。
子の気持ちを縛り、家に縛っては、彼の自立を阻害する。
結果、子の思考が腐る。

事業でも成果でも人間関係でも、自分以外を操ろうとすると、歪む。
生まれてきて、育った以上、何かベクトルが生まれ、その方向に動いていく。
それを私欲で変えようとしても、うまくいかない。

玄徳とは、生み、育て、見守る「徳」なのだろう。


行動・意識への接続

今回の話は育児のイメージが湧くが、後輩指導や相談にも活かせそうだ。

  • 人は相談する時点で、ある程度の方針を決めている。
  • 答えはほぼ決まっている。破滅的思考でなければ、変に弄らず聞くだけで前に進める。
  • それだけでよい。

保留メモ

劉備は盧植の下で学問をしたから「玄徳」という言葉を知っているのだろう。
老子第10章と序盤も序盤である。
自らの字をそのまま「玄徳」にするというのは、剛毅というかなんというか。
英雄になる人物はそういう気概が必要なのだろうか?

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