【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→論語 顔淵第十二 二十二
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
→仁は愛すること。知は人を知ること。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→「仁」は愛?
【なぜ引っかかったか】
(自分の経験・価値観・今の状況との接点)
※ 家庭/仕事/育児/身体/内閣システム など自由
→この時代の愛を、今の時代の愛と同義で解釈していいのか?
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→答えは、後半に出てくる。古の国で、仁の者を大抜擢したら、国が発展した。そして仁でないものは国から去ったのである。
「仁」とは実行者である。
役割を全うするのが「仁」である。
そうなると、口だけの者は以後ことが悪くなるのも道理だ。
付随して、『「仁」は愛するということ』も見えてくる。
「子罕第九 二八」にあるように、「知」と「勇」と「仁」はPDCAを回すセットである。
「知」で準備・計画、「勇」で恐れず実行、「仁」で結果に惑わず修正である。
今回の役割は、人を使う立場の話であるようだ。
だから「知」で人となりを見極めて、「勇」で抜擢、「仁」で信用し続ける。
結果が出るまで、彼を信じ続けることを「愛する」としたのではないかと推測する。
あくまで「仁」は役割を全うする実行者であり、ここでのその役割は、会社の代表や総理大臣などの組織のトップの人が必要な「仁」の姿勢なのだろう。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→浮ついた言葉で釣られるようでは、仁者を見極めることはできない。
人にも物事にも、適正な相場がある。
理屈無く大きな益は手に入らない。
そういうものは詐欺である可能性が高い。
何事も相場観を養うことが、だまされないための第一歩だと思う。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→もっと高い地位での「礼」が「徳」に行き着く?
それとも「礼」を設計する能力が「徳」?
「徳」は基準?
本記事は、以下の書籍をもとにした読書ノートです。
興味を持った方は、原文に触れてみてください。
- 『論語(現代語訳・注釈付き)』
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