【素材】
老子 第28章
【引っかかった点】
剛強なあり方を知りながら、柔弱の立場を守っていくと、世の中の人々が慕い寄る谿(たに)となる。
【最初の反応】
「谷になる」?
なんで?何の話?
【なぜ引っかかったか】
原文は
「其の雄を知りて、其の雌を守らば、天下の谿となる。」
である。
「其の雄はすでに雄であることを知り、かつ其の雌を守れば」
ではないか?
柔弱でありつつ、剛強なあり方を知っているだけで、なにか役に立つのか?
ただの柔弱な存在ではないか。
【今の仮結論】
素直に読むと、次のようになる。
その男らしい雄々しい部分を知っていて、女性のような繊細な部分を守っていれば、天下の谿となる。
天下の谿であれば、常に徳は離れず、嬰児に復帰する。
その白を知っていて、その黒を守れば、天下の手本になる。
天下の手本となれば、常に徳とたがわず、無極に復帰する。
その栄光を知っていて、その屈辱を守っていれば、天下の谷となる。
天下の谷になれば、常に徳が足りて、樸(はう)に復帰する。
樸が散ずれば、器となる。
聖人がこの器を用いれば、官長になる。
なので、大制は割かない。
つまり、
雄々しい人間が自分の強さを知りつつ、自分の中の優しさを守れば、天下の谿となって、徳から離れない。嬰児に帰る。 潔白な者が、自分の中の黒い部分を見つめて認めれば、天下の手本となり、徳と違うことはなく、無極に復帰する。 栄光の立場にある者が、その栄光を知りつつ、過去の屈辱を忘れず謙虚でいれば、天下の谷となり、徳が常に足りて、丸太のような者に復帰する。
丸太は加工すれば器になる。
聖人がそれを用いれば、大臣にもなれるだろう。
だが「大制は割かない」とある。
丸太のままで良い、ということなのか。
私の中では、①も②も③も、なかなかいない人物である。
①はすでに強く、
②はすでに潔白で、
③はすでに著名である。
しかも、聖人にとって③は使い道があるようだ。
だが、この世に聖人などいない。
だからこれは、
強さ・潔白さ・著名性といった暴走しやすい特性を、
繊細さ・心の闇の自覚・謙虚さで補え、
と言っているのではないか。
聖人という、ありもしない存在に寄り掛からず、頼らず、
それでも生き方としては「大制」──天の理、成り行きに身を委ねる。
そういう態度を勧めているのではないだろうか。
【行動・意識への接続】
自分の長所に頼りすぎない。
学問に寄り掛かりすぎれば机上の空論になる。
体術に寄り掛かりすぎれば独りよがりになる。
宗教に寄り掛かれば思考停止になる。
哲学に寄り掛かれば頑固になる。
そういう時は、外を歩く。
家事をする。
掃除をする。
【保留メモ】
そして、誰もが自分の中心からブレないようになるとしたら、
政治は、国は、どうなるのだろうか。

