【素材】
孫子 勢篇第五 三〜六
【引っかかった点】
せきかえった水が岩石までも押し流すほどに激しい流れになるのが、勢いである。
【最初の反応】
文章の装飾が多すぎる。
最低限伝わるように書いてあるはず。
【なぜ引っかかったか】
これを「勢い」と訳すから、その後の文章の主体が何なのかがぶれるのでは?
無駄な装飾が増えるのでは?
【今の仮結論】
「勢い」ではなく、「仁」「徳」「勇」などと同じく、
一文字の概念としての「勢」を説明している文章だと考える。
すでに孫子では「形」を形篇で明確に示している。
同じく勢篇では「勢」を説明しているのだろう。
三を素直に読むと、
水の速さで石を漂わすものは、勢である
と解釈できる。
基本的に石は水に沈む。よほどの勢がなければ、水は石を漂わせることはできない。
つまり、水の勢を構造的に増やし、石を漂わせる状況を作ることが「勢」なのではないか。
そう考えると、四の
勇怯は勢なり
も自然に読める。
勇気や怯えは個人の性格ではなく、「勢の構造次第である」。
個人の度胸に頼るのではなく、自軍が怒涛のように突撃できる構造を整えることが「勢」なのだと思う。
例えば、
- 坂道は登るより下る方が勢がつく
- 一人より二人の方が調子に乗りやすい
こうした要因を積み重ねることが「勢」なのだろう。
その流れで四では「強弱は形なり」と続く。
結局、勝負を分けるのは事前の準備、すなわち「形」によるということだ。
【正直なところ】
五は少し読み方がわからなかった。
六も難しい。
ただし六では、
勢に求めて、人に求めず
と一貫して述べている。
人は木や石のようなもので性質が異なる。
構造が整っており、さらに「円」の性質を持つ人に任せると勢が生きるらしい。
六になって、構造の話から「任せる人間の性質」の話へと移ったため混乱した。
今後、「将とはどのような人か」「円とは何か」が語られていくのだろうと想像している。
【勢と節について】
三では「勢」と「節」がセットで出てくる。
「節」とは猛禽類が獲物を攻撃する様を表す言葉らしい。
つまり、鷲が獲物を捕らえるような一瞬の爆発力を活かすことが「節」なのだと思う。
戦いの勢いは長くは続かない。
勢の体制を整え、一気に爆発させる。
それは短期間で効果的に発揮されなければならない。
格闘技でもコンビネーション(連打)は有効だが、それに頼りすぎればスタミナが持たない。
「勢」と「節」はセットで考えるのが、自然で合理的だと思う。
【行動・意識への接続】
例えば、自分の力に自信があったとしても、重要な面談では相手と同数以上の味方を集めて出席したほうがよい。
これは些細な言い争いでも有効で、「数」はそれ自体が勢になる。
常日頃から、数的有利を得られるような関係性をつくっていくことが大切だと思う。
一番簡単な方法は、些細な意見の食い違いであれば、相手の意見をいったんしっかり受け入れてあげること。
これを普段からやっておくと、いざ自分が怒ったときに、
「普段、人の話をよく聞く人が怒っているなら、よほど相手が悪いのだろう」
という空気が自然に生まれる。
これもまた「勢」だと思う。
【保留メモ】
勢を任せる相手は「円」とされている。
だが、「円」の人間に部下を任せて本当に良いのか?
そもそも「円」とはどのような人間を指すのか?


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