むとうの読書ノート 論語 述而第七 八

読書ノート

※この記事は、書籍を読んで考えたことをまとめた読書ノートです。


【素材】
→論語 述而第七 八

【引っかかった点】

→一隅を教えて三隅を答えられなければ、もう教えない。

【最初の反応】

→当初は、なんてひどい教育法なのだと思った

【なぜ引っかかったか】

→しかし、構造的に教えているものを、A=Bだと学ぶ人は、孔子の意図を汲めておらず、まだ教えるのが早いと判断されたに過ぎないとわかった。

【今の仮結論】

→どうやら「仁」や「徳」そして「君子」としての生き方は一言で定義できないモノの様だ。

なので、「~しない」という条件を重ねて、浮かび出た構造がどうやらそれであるという指導方法を、孔子がやむなく採用していると推測した。このような記述があると「なるほどね」と思った。

四角という図形を口頭で説明するときに、「四角は、曲がっている線を使用しない」「四角はの各角度の合計は必ず360度だ」とか教えざるを得ない。それでも一つの図をもって質問し「先生これも四角ですよね」とか「これは四角ですか?」とか一問一答に終始されると孔子も困るわけだと。

【行動・意識への接続(1つだけ)】

→構造的に考える。

例えば、妻に「トイレでおしっこするときは座ってして」と言われた時に、なぜかと考える。
立って用を足すとどうなるか。当然、トイレを汚すのである。便器内を汚すだけならまだいい方で、実際は部屋中にまき散らされる。妻がトイレを掃除するとしたら、必要以上に労力がかかってしまうのだ。そうでなくとも、汚いトイレは不快なのである。

しかしながら男の方も、座って用を足すとなると、不便になる。立ちながら用を足せるようにできているのに、それができなくなるのだから。

座って用を足すと男性機能を阻害する可能性もあるという話もある。簡単な話に見えて実はかなりの問題なのだ。小便は一日に何度もするのだから。

解決策は、いろいろ浮かぶ。まず座ってやる。これは、一番労力が少ない。しかし先ほど挙げたリスクと何より面倒である。
次善は、多少アクロバティックになろうと、絶対に小便がこぼれない立小便の仕方を考える。しかし、それでもしぶきを全て管理することは不可能である。
立小便をするのであれば、自分が都度、掃除するという方法が、妥当だろうと思う。

しかし、ここで問題がある。立小便をするならば、妻が普段するレベルの掃除では、まだ足りないのである。
立小便をするということは、それほどトイレの部屋全体にダメージを与える行為である。
立小便をする=より手間のかかる掃除を担当するということになってしまう。

なので、私は座って用を足すし、毎朝簡単なトイレ掃除をしている。これが労力の量と妻との関係を考えても最適解だと考える。

男性機能を気にするならば、足腰を鍛えれば解決する。私もそうしている。

【保留メモ】
→それでも、孔子は弟子から「先生!この人は仁ですか?」のような質問を受け続けている。なにをモチベーションにしているのだろうか?


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