承認欲求という言葉がある。
人は、自分を無条件に受け入れてくれる存在を求める。
赤子の時の母のような存在をいつまでも忘れらないのだ。
しかし、その状態は2度とやってこない。2度と絶対に。
子供が感情の全てを曝け出すことで、親は子供に与える。
この関係は、親子だけのものであり、かつ一時期なものだ。
親子の関係は、子の成長とともに変化する。
ある時期をもって、明確な線引きが必要になる。
それができない家庭は、大きなゆがみを生む。
親子であっても、感情を曝け出すという行為は実は健全ではない。
「ありのまま」の自分で居て良い場所など、本来存在しない。
「ありのまま」とは一体何なのか?
人の感情は、その人本人の特性と環境と肩書、そして現象に左右される。「いつも僕は、この感情で固定されているんだ」という人間はいない。つまり感情そのものは、その人の「ありのまま」ではない。
感情とは、「自分の本質的な何か」と「環境や出来事」との反応の結果でしかない。
しかし、「ありのままの自分」を受け入れてほしい人間は、しばしば、この感情の無遠慮な発露をもって「ありのまま」を表現し、それを受け入れることを他者に強要する。
そのような人間は、人を遠ざける。
暴力や美貌、またはある種の特技によって、その特性が美点とされることもあるが、その先に関係の破綻は避けられない。
感情の発露が常態化されている人間は、利用されやすい。
子供が感情を発露している間は、親にとってまだ扱いやすいのだ。
扱いにくいのは思春期だ。親に感情を隠し、自分の中で矛盾を処理する時期がやってくる。
それは、人間のあるべき成長の過程である。
その過程を経ない人間は、思春期前の子供と同じように扱いやすい。健全な大人は相手にしないが、悪い大人はこういう人間を利用する。
人は思春期や、子供時代の人間関係の葛藤を経て、言っていいこと悪いこと、出していい感情と悪い感情を学んでいく。
その結果、他者との円滑なコミュニケーションが生まれる。逆に言えば、円滑なコミュニケーションに本音や感情は邪魔であることが多い。
基本的に、人は自分の承認欲求を満たすことに執着し、人の話を聞かない生き物だ。だから、相手は、君の本音や感情に、興味が無い事が多い。
だからこそ、「雄弁は銀、沈黙は金」という格言がある。
自分への理解を求めるより、相手への理解を深めることで、人間関係はうまくいきやすいのだ。
余談だが、その人をある目的のために利用したいならば、話を聞き、感情を出させ、それを受け入れることが大基本だ。
貴公らの目的が健全であることを祈っている。


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