「線引き」が、生き方の質を高める。

心の戦略

人が過ちを犯した時、思慮や勇気の欠乏というよりは、「線引き」を間違えた結果であることが多い。

「線引き」とはなにか?
それは、自分の行動範囲を決めることに他ならない。

「自分はどこまでやるのか」を明確に決める。
この根っこが定まらなければ、人間は疲弊していく。

なぜか?

判断材料が無いからだ。
判断材料が無ければ、どこまでも状況に左右されるしかない。
右往左往する人間は、その無駄な行動ゆえに疲弊する。

そして、自分の本当にやりたいことに集中できない。
集中できなければ没頭は生まれずに、自分は拡大されない。
自分に還れず、疲労感だけが肥大化してゆくのだ。

自分の人生を生きるためには、明確な線引きが必要で、そのためには、根の様な、理念、意志、志が必要だ。
しかしそれは、いきなり作れるものではない。育てる必要がある。

やりたいこと、嫌だったこと、できなかったこと、悔しかったこと。
うれしかったこと、もうやりたくないこと。

そういうモノを栄養に、理念や志は育っていく。
その結果、自分はこう在りたいというモノが朧気ながら出来てくる。
そこで「線引き」が生まれる。

その「線引き」を、人間関係、仕事、家庭、路上、その他全ての活動で明確に守ることで、理念や志は育っていく。

何も、「線引き」を厳守して全てを拒否せよというつもりはない。
そんなことでは、世の中全てから孤立してしまう。

そうではなく、仲間内の馬鹿な根性試しや身内のノリでやらされている無益な労務、立場を利用したハラスメントなど、そういったものを安易に受け入れないようするという事だ。

その様なものに、付いていくとトラブルに巻き込まれる、自分が悪者になる。取り返しのつかない傷をつけたりつけられたりする。

「線引き」が自分に無い人間は、人にどこまでも同化することを求める。

それは、破滅へと繋がる。
なぜなら、異なる個体が同化することは決して無く、いつか別れる時が来る。そしてその時、こちらの努力は一切が無効となり、なぜか恨まれるのだ。その恨みは期間が長ければ長いほど大きくなる。

「線引き」には勇気がいる。
この世には同化を求める人間が多すぎる。

同化を断るには、勇気が必要に思える。
「それは結構です」と親し気な人や、地元の友人に言うのは気が引けるし、あとが怖い気がする。

実は、「線引き」は勇気よりも構造化が非常に有効である。
というより「構造化」をして「言語化」することによってでしか、「線引き」は機能しない。

信念を生活に落とし込み、線引きを守って行動し続けることで、「それはやらない」の理屈が本物になるからだ。

それ以外の「やらない」の言葉は、拒否にしか聞こえない。
だからこそ勇気が必要になる。

結局、根があるかどうかが、「線引き」を生み、「線引き」があるから自分の人生を歩めるようになる。

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