【素材】
論語 学而第一 十二
和を尊ぶために礼を用いるべし、和を知り和そうとしても、礼による節度が無いのであれば、和すべきではない。
【引っかかった点】
和を尊ぶために礼を用いるべし、和を知り和そうとしても、礼による節度が無いのであれば、和すべきではない。
【最初の反応】
和を貴ぶとは?
【なぜ引っかかったか】
礼(役割)の中での和とは何なのか。
【今の仮結論】
「和」は単に仲良くすることではなく、
調和がとれた状態を指しているのではないか。
人々がそれぞれの役割を担い、その行いが調和し、
チームとして一つの目標に向かっている状態。
先王の時代には、そうした状態が「美しい」とされたのだと思う。
調和のとれた状態を知り、それに近づこうとして親交を深めても、
そこに役割ごとの職能や地位に応じた振る舞い(礼)が機能していなければ、
それは「和」ではなく「混乱」になる。
人にはそれぞれ役割がある。
男であり、子であり、夫であり、父であり、従業員でもあるかもしれない。
それぞれの立場ごとに、求められる振る舞いは異なる。
職場で父として振る舞えば事故が起きる。
家庭で父として振る舞えば子が安定する。
夫として振る舞えば妻も安定する。
実家では子として振る舞う。
職場では役職に応じた振る舞いをする。
この節度がなければ、「和」は調和ではなく混沌になる。
【行動・意識への接続】
自分らしさを求めなくていい。
逸脱を自分らしさと勘違いしない。
役割を全うする中で、本当の「らしさ」は滲み出る。
それ以外は、自分らしさではなくナルシシズムからくる演出だと思う。
【保留メモ】
適切な「礼」を設計する「徳」の基準とは何なのか。


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