当ブログには、読書ノートというものがあります。
本を読み、引っかかった部分を言語化するというモノです。
これはchatGPTに進められたもので、今も当時提案された
フォーマットを使っています。
これをやっているうちにいつしか中国の古典や、
昔読んで挫折したような本にも挑戦できるようになりました。
そんな日々が4月を越えようとする中で、
読書ノートは70記事を超えました。
論語、老子、孫子もまだまだ理解が足りませんが、
今、この瞬間の解釈を交えて、この3書を比較して
楽しみたい。そう思いました。
老子
一番好きでよく読むけれども、未だに何が言いたいのか理解できない。
その点、論語や孫子は、目的や構造がしっかりしていると思う。
老子はそもそも「道」を定義しない、しかしながら
小さな事例と範囲を以て、玄通(ほんのり理解)させてくれる。
本質へのほんのりした理解と、余計なものを持たず、
為す無きを為し、手放す。それが玄徳「育て、保持せず、自立させる」。
人は、何かの目的に特化し、それに殉じてはいけない。「器の生き方」
そうではなく、人間らしい感性を持って生きなさい。「樸の生き方」
その様に言っていると理解しています。
基本的に生きるスタンスだと思ってます。
それも大きな考えすぎて、正直理解ができない。
実際、論語よりも孫子よりも超長期的な視野をもった考えだと思ってます。
論語
すっごい構造的に定義された考えだと思ってます。
これは超個人的な解釈ですが。
「徳」=「私心無き状態で役割を全うする態度」
※考えの土台は「信」と「忠」
「礼」=徳を基にした役割の範囲
ここの徳と礼に意味を持たすのが「仁」です。
「仁」は、「知」と「勇」とセットです。
「知」を以て惑わず、「勇」を以て懼れず、「仁」を以て憂えず
つまり、「知」で予測・計画、「勇」で実行、「仁」で後悔せずに反省・修正です。
つまり、「仁者」はPDCAを回す人だと見ています。
こういう括りで。論語を読むと結構しっくり来たりします。
孔子の言う仁者は「自分の役割を理解して、その範囲でできる最大限の努力をして、PDCAを回し続ける実務者」と私は解釈しています。
なので。「巧言令色鮮し仁」なのだと。
余計なことを言わず、実務を回すのが仁者なのだと私は解釈しています。
孫子
孫子は、実は、戦争論のように見られがちですが、
論語や老子と目指すものは一緒なのだと思います。
まず第一に孫子は「戦争を避けなさい」と言っています。
なぜなら、戦争は基本的に損をするからです。
損をするというのは、国の資産が減るということ。
孫子の目指すものは、基本的には国家の繁栄ですから、
戦争をしないことは第一義なのです。
ここから他の2書と違うのは、実際、戦争は起こり得るものなので、
「どうするか」なのです。
答えは、「情報第一で、戦争する前につぶす。」です。
次善の策は「戦争はすぐ終わらす」です。
なので、理想論はかなり削っています。
そうした意味で、老子や孔子と一線を画しますが、
前半部分は、通ずるところもあると思います。
結局、生活を営む国民のことを思っているからです。
だけれども、現実問題、情報のとり方は命がけ且つ徹底しています。
真似したら、人生が暗いものになることは間違いないです。
でも前半部分は、戦争前の準備や、戦争時の考え方は、
少しだけ参考になるかもしれません。
何か、人と争うときは、ここまでやれば勝てる可能性があると
そういうことを学べます。
だけれども、真剣に争いに対して向き合えば向き合うほど、
人生は暗くなる。一般人は深くのめり込むものではないかもしれません。
3書を比較して
論語、老子、孫子を比較して、一番大きいのは老子だと思います。
途方もない大きさの思想ですが、結局どうすればいいの?と思ってしまう思想だと思います。
その点、論語は、即効性もある良い教えだと思います。
その時その時、原理原則に立ち返って、仁者で在ろうとすれば、
そのコミュニティで過不足なく生きていけると思います。
孫子は、その2書に比べたら、活かせる幅は狭いと感じます。
ただ、本当の闘争となった時、相手はここまでやってくる。
ここまで情報を取りに来ると学ぶことは重要です。
そうすると、体力や腕っぷしに自信があっても
争いの場に身を置くべきではない。
そういうことが学べるからです。
以上、今回は3書を比較して、今の感想を述べました。
まだまだ読めば読むほど、気づきがある3書なので、
引き続き読書ノートという形で楽しんでいこうと思います。

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