【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
孫子 謀攻篇第三 三~五
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
「周」とは親密と訳すべきなのか?
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
「周」⇔「隙」である。君主と将の間に隙があるの反対派、親密なのか。
【なぜ引っかかったか】
例えば、総理大臣と旅団長が親密であるのが良いとした場合、総理大臣は、何人と親密になる必要があるのか?
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
引き続き三から順番に見ていきます。
まず、書き下し文
故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、敵すれば則ち能くこれと戦い、少なければ則ち能くこれを逃れ、若(し)からざれば則能くこれを避く。
故に小敵の堅(けん)は、大敵の擒(きん)なり。
素直に読む。
ゆえに、用兵の法は、こちらが十倍ならば相手を囲み、五倍ならば相手に攻め込み、二倍ならば分ける、互角ならば戦い、少数ならばうまく逃げて、相手にならないようなら接触を避けるのが良い。
なので、少数で堅守するのならば、大軍の捕虜になるだろう。
ここまでを素直に読んでみると、これは兵力差に応じて取るべき行動を整理したものと考えられます。
十倍ほどの圧倒的な優勢ならば敵を囲み、五倍ほどの優勢ならば攻め、二倍ほどならば分け、互角ならば戦い、こちらが少なければ逃れ、それでも相手にならないほど劣勢ならば、そもそも接触を避ける、という具合です。
ここで「十倍」「五倍」「二倍」という数字を、現代のような厳密な兵力計算として捉える必要はないように思います。古代の戦場では、将が敵味方の全兵力を正確に把握することなどできません。地形や視界、偽装、部隊の配置、士気などによって、実際の兵数と、その場で将が感じる戦力差には大きな違いが生じるでしょう。
そのため、これらの数字は、現場で敵味方の勢力差を判断する際のおおまかな目安として捉えた方が自然なのではないでしょうか。
また、「倍すれば則ちこれを分かち」の「分かつ」についても、この一文だけでは、敵軍を分けるのか、自軍を分けるのかまでは判断できません。敵を分断することも考えられますし、自軍を二つに分けて別方向から攻めることも考えられます。ここは具体的な意味を決めつけず、いったん「二倍ほどの優勢ならば、兵を分ける」としておくのがよさそうです。
「敵すれば則ち能くこれと戦う」についても、互角ならば積極的に攻めろという意味ではなく、互角ならば戦うことができる、くらいに読んでおく方が素直でしょう。戦っているうちに敵味方の兵力差が変化すれば、それに応じて「分ける」「逃れる」といった別の判断に移ればよいわけです。
そう考えると、これは戦闘開始時の兵力比だけを示したものではなく、戦場で状況が変化するたびに、自軍と敵軍の規模感を見て判断を変えるための目安とも考えられます。
そして、最後の「小敵の堅は、大敵の擒なり」が、その考え方をさらに強調しているように思えます。
少数になったにもかかわらず、「ここは守らなければならない」「少数でも死守する」と意地になって戦い続ければ、大軍の捕虜になってしまう。そうならないためにも、劣勢になったなら逃れ、さらに勝負にならないなら接触そのものを避ける。
これは、単に勝つための戦術というより、国家にとって無用な損害を減らし、同時に現場の将が判断しやすくするための整理とも考えられます。
現場の人間は、責任感や任務意識から、劣勢であっても「自分がここを守らなければならない」と考えてしまうことがあります。そのため、「こういう戦力差ならこうする」という大まかな基準をあらかじめ持たせておけば、感情や精神論だけで判断することを避けやすくなります。
もちろん、ここまでが原文に明記されているわけではありません。しかし、少なくとも「兵力差を見て、戦うか、逃れるか、避けるかを判断せよ」という考え方は、この一節から素直に読み取れるように思います。
つづけて四に行きます。
まず書き下し文
夫(そ)れ将とは国の輔(ほ)なり。
輔 周(しゅう)なれば則ち国必ず強く、輔 隙(げき)あれば則ち国必ず弱し。
故に君の軍に患(うれ)うる所以(ゆえん)の者には三つあり。
軍の進むべからざるを知らずして、これに進めと謂い、軍の退くべからざるを知らずして、これに退けと謂う。
是れ軍を縻(び)すと謂う、三軍の事を知らずして、三軍の政を同じうすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして、三軍の任を同じうすれば、則ち軍士疑う。
三軍、既に惑い且つ疑うときは、則ち諸侯の難至る。
是れ軍を乱して、勝を引くと謂う。
素直に読む。
それ将とは国の輔です。
輔が周であれば、国は必ず強く、輔が隙であれば、国は必ず弱いです。
なので、国の軍で心配する場所は3つあります。
軍の進めてはいけない場面を知らないで、これに行けと言い、軍が退いてはいけない場面で、これに退けという。
この事を軍に縻すと言います。
三軍の事を知らないで、三軍の政と同じようにやれば、軍士が惑います。
三軍の権を知らないで、三軍の任を同じように扱えば、軍士は疑います。
三軍、すでに惑い疑っている状態では、他の諸侯が攻め込んでくるでしょう。
これを軍を乱して、勝を引くと言います。
本の注釈によると、「縻」とは、繋ぐという意味で、「君主と軍を繋ぐ」という意味の様です。
三軍の事、三軍の政、三軍の権、三軍の任、これらはよくわかりませんが、混同してはいけないものなのでしょう。
つまり、君主といえども犯してはいけない領域があり、軍の中でも混同してはいけないものがあると考えれば良さそうです。
「輔周なれば則ち国必ず強く、輔隙あれば則ち国必ず弱し」の「周」は、一般には「君主と将軍が親密である」といった意味に解釈されることがあります。
しかし、これを単純に「親密」とすることには少し疑問があります。
国家運営において重要なのは、君主と将軍が個人的に仲が良いことよりも、君主と将軍、それぞれの役割や権限が適切に配置され、国家を補佐する仕組みがきちんと機能していることではないでしょうか。
例えば、君主が軍事について全てを把握しているとは限りません。創業期の君主であれば、自ら軍を組織して戦場に出た経験があるかもしれませんが、国家が代を重ねて大きくなれば、君主自身が現場の軍事を全て判断することは難しくなります。
そこで、君主、軍を統括する者、各部隊の指揮官など、それぞれが自分の役割を果たす必要があります。
その意味では、「輔周」とは、将軍による国家への補佐が適切に整えられ、機能している状態くらいに捉えておくとよさそうです。
反対に「輔隙」は、その仕組みのどこかに隙がある状態です。
例えば、誰が何を判断するのか、どこまで権限を持つのかが曖昧であれば、判断すべき人間が判断せず、逆に複数の人間が同じ領域に介入することもあります。いわば、組織の中で守備範囲が曖昧になり、互いにお見合いしてしまう状態です。
後に続く、
軍の進むべからざるを知らずして、これを進ましむ。
軍の退くべからざるを知らずして、これを退かしむ。
という記述も、こうした問題の具体例として読むことができます。
君主が軍の実情を十分に知らないまま進退を命じれば、現場の判断を壊してしまいます。また、
三軍の事を知らずして、三軍の政を同にせば、則ち軍士惑う。
三軍の権を知らずして、三軍の任を同にせば、則ち軍士疑う。
とあるように、軍の事情や権限を理解しないまま軍政や任務に介入すれば、兵士は「惑い」、さらに「疑う」ことになります。
したがって、ここで問題になっているのは、単純な君主と将軍の人間関係というより、君主自身が混乱せず、将軍も現場も適切に機能できるよう、国家と軍の役割・権限をあらかじめ整えておくことなのではないでしょうか。
もちろん、現時点では「周」の具体的な意味まで断定することはできません。そのため、ここでは「周」を無理に別の言葉へ置き換えず、「適切に整えられ、機能している状態」くらいの意味として仮置きしておきます。
国家運営は、君主と将軍が仲良くしていれば済むようなものではありません。
誰が何を判断し、誰に何を任せるのか。その守備範囲が明確で、それぞれが適切に機能するようにしておくこと自体が、国家を強くするための重要な条件なのだと思います。
では五に進みます。
まずは書き下し文
故に勝を知るには五あり。
戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。
衆寡の用を識(し)る者は勝つ。
上下の欲を同じくする者は勝つ。
虞(ぐ)を以て不虞を待つ者は勝つ。
将の能にして君の御せざる者は勝つ。
此の五者は勝を知るの道なり。
故に曰く、彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆(あや)うからず。
彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。
素直に読む。
故に「勝」を知るには五あります。
「戦うべき」と「戦わないべき」を知るものは勝ちます。
「衆寡」の用を知る者は勝ちます。
上下の欲を同じにする者は勝ちます。
備えをもって、不備を待つ者は勝ちます。
「将」が有能で、君主に御されない者が勝ちます。
この五者は「勝ちを知る」の道です。
故に言います。
彼を知り己を知っていれば、百戦しても危なくない。
彼を知らないで、己を知れば、一勝一敗する。
彼を知らず己も知らないなら、戦うたびに危うい。
単純に考えてみます。
■「勝ち」を知るすべ→5つ
①「戦うべき」「戦わないべき」を知る
②「衆寡」の用を知る
③上下の欲を同じにする者。
④「備え」を持って、「不備」を待つ
⑤「将」が優秀で、「君主」に御されない
以上ですが、非常に明快に示されています。
・①と②は、本篇の三からもよくわかると思います。「10倍ならば…少なければ…」という記述です。これがあれば、現場の感覚で、戦うべき時期なのか、どうなのかが判断できると思います。
①に関しては、注釈では、「少ない兵」と「大人数の兵」の使い方がわかると解釈されることが多い文言ですが、私はどちらかといえば、本篇の三の基準を守って適切に動く将の事かと思います。それだけだと、その将の軍が敵軍を接敵した際に、少数では負けてしまうではないか、退いてしまうではないかと、思うと思いますが、そこで、本篇の一と二が影響すると思います。国全体でどのように勝つかは、「将」にも共有すべきであり、「将」の正面の敵のみで物事を考えることこそ、全体において危険に成り得ると考えます。
・④についても同じようなことが言えると思います。孫子の思い描く戦場では、攻めるのは10倍か5倍の兵がこちらにある場合であり、2倍なら分けて戦うにとどまります。なので、基本的には「備えを怠らない」わが軍が、相対する敵軍が「不備」を為すまで、無理をしない戦法が基本の様に受け取れます。戦いは、一対一から多対多に関わらず、よほどのことが無い限り、後手の方が有利です。なので、③の意思決定や目的の共有も重要だと思います。各々の利が交じり合う軍隊という組織ですから、全ての欲望や目的を同じ方向に向かわすことは不可能でしょうが、今この瞬間の戦闘の企図とその対応を共有することはできるでしょう。そうしないと、こちらから不意の攻撃をしてしまい、不利な形で先手を取ってしまいかねません。
・そこで⑤も必要性が出てきます。これは本篇の四の記述そのままですが、①~④まで整えて、将兵がまさに今、敵の不備を完全な備えを持ち打ち破ろうというときに、味方の君主から待てが入っては、勝てるものも勝てません。そして、どこまで上がシステムを徹底しようとも、勝ち負けの妙は現場の「将」にしかわからないという、現場の感覚を知る孫子ならではの記述だと思います。
ここまで謀攻篇を読んでみて思う事といえば、やはり孫子は、直接的な兵と兵との衝突を極力避けている様に思います。適切な配備と備えを持って、戦線を膠着させることが重要で、戦いの決は、外交努力や情報の奪い合いに頼る傾向があるように見えます。
もちろん、敵軍が、膠着を不意に破り、攻め込んできて不備を見せるのならば、それは丁寧に拾い陣を前に進める。そうすれば交渉も優位になる。そういう盤石な戦い方が孫子的だと思います。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
謀攻篇は、「君主」「将」から「士卒」に至るまで、天才的能力を持つものを期待することなく、平凡な能力を持つ人間で構成された場合でも、戦況を有利にするために、具体的な方法が書かれた篇だったと思う。
個人で考えるならば、自分がコンディションが良く、集中できた時を基準に、作業の予定を立てるのではなく、むしろ自分の普段の能力の平均を下回る基準で、計画を立てるべきだと思います。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
それでもまだまだ、抽象的だと思います。孫子的組織運営はどこまでの具体性を示すのか楽しみです。


コメント