【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
孫子 謀攻篇第三 一~ニ
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
国を全うする
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
中々聞かない言葉だなと。
【なぜ引っかかったか】
ただ、この言葉が非常に重要であるようです。
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
一から順番に見ていきます。
まず、書き下し文
孫子曰わく、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。
旅を全うするを上と為し、旅を破るはこれに次ぐ。
卒を全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。
伍を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。
是の故に百戦百勝は善の善に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。
※訳注より、軍は1万2500人の部隊、旅は500人、卒は100~500人、伍は5~100人の部隊とのこと。
なので、素直に読むと、
孫子は言う、凡そ用兵の法は、国を全うすることが一番の功績で、敵国を破るのはこれに次ぐ功績です。
軍を全うすることが功績で、敵軍を破るのはその次の功績です。
旅、卒、伍もそうです。
これゆえに、百戦百勝は、最上の功績ではなく、戦わずに相手を降伏させる、屈服させることが最上なのです。
と読めます。
功績の順として、①国を全うする②敵国を破る③旅を全うする④敵の旅を破る
なのか、①国を全うする②旅を全うする③卒を全うする④伍を全うする⑤敵国を破る、という風に功績の順番があるのかはわかりません。
少なくとも、国を全うする>敵国を破る、という理解でいいでしょう。
まあ、此処で言いたいのは、そもそも負けるのは下の下であるのは間違いはありません。勝ち負けギリギリで勝つのは中で、圧倒的に勝つのは上、部隊を損なわずに工夫して相手を屈するのが上の上ということ。
ここでもやはり継戦能力を向上させることが重要だと言っているのでしょう。
勝ち負けより先を見据えていく必要がありそうです。
ここからは私の論の飛躍ですが、軍を全うすれば良い訳なので、軍の任務が、達成できていて、かつ戦力が減らない、むしろ増すのが良いのだと思います。なので、必ずしも戦闘ありきで考えなくても良いのかなと思います。
先ほど述べた通り、「国を全うする」「軍を全うする」「旅を全うする」「卒を全うする」「伍を全うする」と、「国を破る」「軍を破る」などが並べられていますが、これをそのまま功績の順位として断定してよいのかは、まだ分かりません。
例えば、敵の旅を破った将と、自軍の旅を損なわずに任務を達成した将がいた場合、論功行賞ではどちらをより高く評価するのか。
敵を破ること自体、決して小さな功績ではない。むしろ、敵軍を実際に破る能力は非常に大きな軍事的才能であり、それを軽視するのも違うように思います。
ここで重要なのは、「敵を破る能力」と「害と計を考え、自軍を全うする能力」は、優劣というより性質が違うのではないか、ということです。
例えば、敵を破ることに非常に優れた将は、戦場では極めて有用である。敵を正面から撃破し、戦果を挙げることができる。そのような将には当然、恩賞や名誉を与えるべきです。
しかし、その将が「勝つこと」に長けている一方で、「その勝利によって何を失うのか」「次の戦いにどのような影響が出るのか」といった「害」まで十分に考えなければ、戦い方はどうしても損耗を前提としたものになりやすいように思います。
そうであれば、その将を戦場の指揮官として用いること自体は非常に合理的でも、国家全体の戦略を預けることには別の判断が必要になると思います。
一方で、「計」と「利」だけではなく「害」まで理解する将は、敵を破ることそのものよりも、その戦いによって国家全体にどのような結果が生じるかを考えることができるでしょう。
「勝てるから戦う」のではなく、「勝つことに国家としての利があるのか」「今ここでこの将を使うことが本当に得なのか」「この将を温存すること自体が利にならないか」と考える。
そう考えると、前者のような将を現場の将として用い、後者のような将を幕僚からより上位の指揮官へ育てていく、という人材運用も考えられます。
そして、この二者は対立するものではない。
むしろ、敵を破る能力を持つ将に、計と害を理解する上位の将が組み合わされば、その破壊力をより長く、より大きく発揮できるのではないかと思う。
「この将なら勝てる。しかし、今は勝つ必要がない」
「この戦いでは損害を許容してでも勝つ価値がある」
「ここでこの将を使うより、次の戦いまで温存した方が国家にとって利が大きい」
そう判断する者が上にいれば、敵を破ることに長けた将も、自分の能力を最大限に発揮できると思います。
つまり、「敵を破る将」と「国を全うするために戦争全体を計算する将」は、単純な優劣ではなく、異なる能力を持つ将として考えた方がよいのかもしれないと言う事です。
この意味でも、現段階では「国を全うする」「軍を全うする」「旅を全うする」などの並びを、単純な功績の順位として断定するのは保留しておきたい。
少なくとも本文から、「国を全うすることは、国を破ることより上にある」ということ、そして「百戦百勝」より「戦わずして人の兵を屈する」ことが上位に置かれていることは読み取れます。
では二に進みます。
まず書き下し文
故に上兵は謀(ぼう)を伐(う)つ、其の次は交(こう)を伐つ、其の次は兵を伐つ。
其の下は城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為めなり。
櫓・フンオン(城攻めの四輪車)を修め、器械を具(そな)うること、三月にして後に成る。
キョイン(敵城に迫るための土塁)又た三月にして後の已わる。
将 其のイキドオりに勝たずしてこれを蟻附(ぎふ)すれば、士卒の三分の一を殺して而も城の抜けなるは、此れ攻の災(わざわい)なり。
故に善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。
人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。
人の国を毀(やぶ)るも而も久しきに非ざるなり。
必ず全きを以て天下を争う。
故に兵頓(つか)れずして利全くすべし。
此れ謀攻の法である。
素直に読んでみる。
故に上兵は「謀」を伐つ、その次は「交」を伐つ、その次は「兵」を伐つ。
それでも駄目なら下策として城を攻める。
攻城の方法は、やむを得ない事情で使う。
城攻めの準備は三か月かかる。
もっと効率的にやるにはさらに三か月かかる。
「将」が待ちきれずに、力攻めをすれば、兵卒の3分の1は死ぬも城も占領できない。
これが攻の災いです。
だから兵を善く用いる者は、相手の兵を降伏させるのに、戦闘を用いません。
敵の城を占領するのに、攻城戦をしないです。
敵国を破るのも長い期間を要しません。
必ず、「全き」をもって、天下を争います。
だからこそ、「兵」は疲れずして、「利」が「全く」します。
これが謀攻の方法です。
策に貴賤があるようです。
・上の上:「謀」を伐つ
・上:「交」を伐つ
・中:「兵」を伐つ
・下:「城」を攻む
と考えてもいいでしょう。
「謀」とは相手の謀略でしょうか。
「交」とはなんでしょうか?翻訳では「敵と連合国の外交関係」とのことですが、私は一旦保留にします。
「兵」はまあ、軍隊などの実力組織でしょう。
私としては、
・一国の中で議論されている状態が「謀」
・他国との連携を取る、または情報が行き来する状態を「交」
・軍隊を派遣した状態が「兵」
なのかな?と考えます。
「謀」の状態なんて、敵の中枢にスパイがいないと「情」を索むことができませんから、「計」の中でもかなり高度な情報収集能力が必要だと思います。と想像します。スパイが敵国の軍事顧問の立場になっていたりと、そういう状態もあるのかもしれません。
「交」の状態は、国同士の外交関係に限定すると少し弱いと感じました。情報が行き交う場所全てが対象ではないかと。だから、偽情報を流し、敵国を混乱させたり、敵将を調略したり、自分以外を攻めるように仕向けたりも「交」の範囲なのではないかと推察します。あと、敵国の商人なんかを取り込むなどもあるのかなと。
「利を全く」するという考えなら、まず敵対しないことが大切なのだと思います。まず、敵国同士を争わせ、全き状態から欠けた状態にする。自分だけが全き状態を維持する。そのように考えるべきなのでしょう。相手が欠ければ付け込む隙が出来ます。金が無いなら貸せばいい。兵が足りないなら、脅せるし助けて恩も売れる。
その為に必要なのはやはり「情」なのでしょう。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
戦うという選択肢は、一見かっこいいですが、「国を全き」をスケールダウンして、「生活を全き」や「自分を全き」「家庭を全き」と考える。
もちろん全きことが出来ず、ある程度の欠けてしまうことはあるだろうと思いますが、戦うことで次が無くなるよりは良いのかもしれません。
我々は戦時中に生きていないので、戦い敗れても次がありますが、それ故にもっと大きな視点で「全き」を目指すのが良いでしょう。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
「計」「情」「利」はともかく、「謀」「交」について構造的にもっとわかる場所はあるか?


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