人は、経験に意味を与えながら生きている

日常の気づき

最近、自分の中で少しずつ繋がってきた感覚がある。

それは、

人間は、出来事そのものだけで生きているのではなく、
その経験をどう意味づけるかで生きている

ということだ。

そしてそれは、単なるポジティブ思考とは少し違う。

むしろ逆で、
人間の有限性や不確定性を理解するほど、
日常の見え方が変わっていく感覚に近い。

子どもは、時間を可視化する

育児をしていると、不思議な感覚になる。

眠い。
疲れる。
予定は崩れる。

子どもが寝ない日もある。
せっかく寝かしつけたと思ったら起きる。
自分の睡眠も、体力も、思い通りにはいかない。

以前の自分なら、

「どう管理するか」
「どう最適化するか」

を考えていたと思う。

もちろんそれも大事だ。

でも育児をしていると、だんだん気づく。

そもそも、人間も生活も、そんなに安定したものではない。

子どもは急に熱を出す。
親も突然限界が来る。
昨日までできていたことが、今日はできない。

つまり、生き物を相手にしている。

だから最近は、
「子どもが寝たら一緒に寝ればいい」
と思うことが増えた。

これは怠けというより、

不確定なものを前提に生活を組む

という感覚に近い。

そしてその感覚は、育児だけでは終わらなかった。

「今しかない」は、育児で嫌でも実感する

子どもを見ていると、時間の速さに驚く。

少し前までできなかったことが、急にできる。

抱っこの仕方も変わる。
遊び方も変わる。
反応も変わる。

今みたいに無邪気に遊んでくれる時間は、もう戻らない。

大人同士なら、
ある程度、昔の関係性の延長線がある。

でも子どもは違う。

成長するたびに、関係そのものが更新されていく。

だから、

  • 面倒
  • 大変
  • 眠い

そういう現実はそのまま存在しているのに、
同時に、

「この時間は二度と戻らない」

という感覚も強くなる。

すると不思議と、
騒がしい日常そのものが、少し愛おしく見えてくる。

災害派遣でも、少し似た感覚があった

自衛隊時代、災害派遣や厳しい訓練でも、
少し似た感覚があった。

非常呼集。
睡眠不足。
理不尽な教育。
極限の疲労。

そういう状況に入ると、人間は驚くほど脆くなる。

感情で荒れる。
判断を誤る。
余裕がなくなる。

でも逆に、そういう場面では、

「誰が悪い」
「自分が損した」

みたいな感覚が、少し後ろに下がる瞬間がある。

それどころではないからだ。

すると世界が、

  • 人は疲れる
  • 人は壊れる
  • 人は理屈通りには動かない

という風に見えてくる。

災害現場ではなおさらだ。

昨日まで普通に生活していた人が、
突然すべてを失う。

人生は、思った以上に不確定だ。

そして、それを見ていると、
不思議と人を責めにくくなる。

「なんでできないんだ」
より先に、

「まあ、人間だしな」

という感覚が来る。

人間は、そんなに安定した存在ではない

今はリハビリの仕事で、
脳卒中から半身麻痺になった方とも接する。

昨日まで普通に歩いていた人が、
突然、身体の自由を失う。

そこからまた、
以前とは違う身体で生き直していく。

そういうものを見ていると、
人間を「常に合理的で安定した存在」として扱えなくなる。

疲れれば壊れる。
環境で変わる。
睡眠不足で別人みたいになる。

それが人間だ。

だから最近は、
人にも自分にも、過剰な期待をしなくなった。

もちろん、努力を否定したいわけではない。

ただ、

「ちゃんとできないこと」を異常扱いしなくなった

のだと思う。

死を考えると、日常が変わる

最近は、
「人は普通に死ぬ」
ということもよく考える。

もちろん、死にたいわけではない。

ただ、人は自分が死ぬとは思わず生きているのに、
実際には、かなり普通に死ぬ。

病気。
事故。
災害。

ある日、突然、続きが終わる。

そして育児は、
その時間の有限性を嫌でも実感させる。

子どもは成長する。
自分は老いる。

今のこの時間は、必ず失われる。

でも逆に、
その感覚があるからこそ、

  • 今日笑えたこと
  • 一緒に遊べたこと
  • ご飯を食べたこと

そういうものに、強い密度が生まれる。

もし人間が死ななかったら、
ここまで今に重みは乗らない気もしている。

苦難も喜びも、結局は過ぎていく

振り返れば、

  • 嬉しかったこと
  • 苦しかったこと
  • 怒ったこと
  • 泣いたこと

全部、今は思い出だ。

そして不思議なことに、
過去のどんな強烈な経験も、

「今この瞬間」以上には、自分を刺激してこない。

つまり、人間は常に、
“更新され続ける現在”
の中を生きている。

でも、だからこそ思う。

苦難も喜びも、
どうせ全部過ぎていく。

ならば、

  • 今起きていること
  • 今感じていること
  • 今誰かと生きていること

そのものを、
もう少し大切に扱ってもいいのかもしれない。

人生は、「意味」を発見するというより、与えている

昔は、
「人生の意味」を探していた。

でも最近は少し違う。

意味というのは、
どこかに完成品として存在しているものではなく、

自分が経験をどう受け取るかで、生まれている

気がする。

同じ育児でも、

「ただ大変な時間」

として見ることもできる。

でも、

「今しか存在しない時間」

として見ることもできる。

同じ疲労でも、

「最悪な一日」

にもなるし、

「人間らしく生きた日」

にもなる。

結局、人間は、
経験そのものではなく、

経験にどう意味を与えるか

で、生きているのかもしれない。

そして最近の自分は、
苦難も喜びも含めて、

「有限な人間が、何とか生きている時間」

そのものに、
少し価値を感じている。

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