「あの大学の学生は…」と思った自分が、少し恥ずかしくなった話

日常の気づき

駅前で、人の流れが止まる。

横に広がる学生たち。
詰まる歩道。
前に進めない通勤客。

毎日のようにその光景を見るうちに、
私は心のどこかでこう思っていた。

「この大学の学生、マナー悪いな」「やっぱり偏差値の問題なのか」

でも、ある時ふと気づいた。

いや、待てよ、と。

自分の母校にも、
どうしようもない奴なんて普通にいた。

周囲を見ずに歩く人もいたし、
騒ぐ人もいたし、
迷惑をかける人もいた。

ただ、自分はそこに“慣れていた”だけなのだ。

あるいは、
母校だから少し美化していたのかもしれない。

そこで視点を変えてみると、
見えてくるものがあった。

問題は、「学生の質」だけではなく、“構造”だった。

駅の導線。
歩道の幅。
人流の集中。
授業終わりの時間帯。
オフィス街との重なり。

大量の人間が、
同じ方向へ、
同じタイミングで流れる。

そうなると、
人は簡単に「群れの動き」になる。

前が止まれば止まる。
横に人がいれば広がる。
友人と話していれば注意力は落ちる。

これは別に、
特定の大学だけの話ではない。

満員電車でも、
イベント帰りでも、
観光地でも、
同じことは起きる。

そして思った。

人間は、自分が思っている以上に、環境に影響される。

私たちは、
つい「人の性格」や「能力」に原因を求めたくなる。

「あの人はダメだ」
「あの世代は」
「あの学校は」

でも実際には、
構造が人を動かしている場面はかなり多い。

もちろん、
個人の責任がゼロとは言わない。

ただ、
“人だけを責める視点”になると、
現実を見誤る。

これは大学生の話だけではない。

職場でも、
家庭でも、
SNSでも同じだ。

空気。
疲労。
導線。
時間。
環境。
集団心理。

そういうものが重なると、
人は驚くほど簡単に視野が狭くなる。

今回、
狭かったのは、
駅の歩道だけではなく、
自分の視野の方だったのかもしれない。

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