【素材】
(本・記事・章タイトル・著者など)
→エチカ(上) 第二部 定理二十九 備考
【引っかかった点】
(引用 or 要約を1〜3行)
→物との偶発的接触に基づいてものを認識するときには、単に混乱し、棄損した認識を有するのみである。それに反し、内部から決定されて、多くの物を同時に観想することによって、ものの一致点・相違点・反対点を認識する場合はそうではない。
【最初の反応】
(読んだ瞬間に浮かんだ感情・思考)
→やっと俺にも何の話か分かってきたか?
【なぜ引っかかったか】
→ここら辺からやっと言いたいことがわかるか?
【今の仮結論】
(今の段階での整理)
→第一部から順番に読んできたが、とにかく、
スピノザが何のために、このような論を展開しているのか、
いまだに理解できない。意図がまるで読めない。
非常に読んでいて苦痛である。
何かの自己啓発本か何か小難しい本だったかわからないが、
とにかくその本で「エチカ」からの引用だったか、それが何だったか
忘れたが、「エチカ」ってなんか凄そうだなと思って書を取った。
今は少し後悔している。
読書ノートの更新も止まっている。
とにかくここらへんで、自分の疑問点、ひっかかりを整理しないと
おそらく最後まで読んでも何も得られないと思って、むりくり論じる。
第一部は「神」について述べていた。
スピノザの言う「神」は無限且つ、全能である存在である。
私の勉強不足で申し訳ないが、どうやら、我々の存在もまた、
無限である「神」の一部であるようだ。
どうやら、無限の「神」の延長されたモノの一部が、我々の精神である。
その理解もすこし違うのかもしれない。とりあえず仮置きだ。
どうやら精神は「神」のものだが、肉体はそうでないようだ。
スピノザが言うには、人間は、肉体を通しての反応を以て、
自分自身を知覚していく。外部との接触を以て、
人間は、自分の肉体がどのようなものなのか認識していく
と述べているようだ。この私の理解が合っている自信はない。
ただ、【引っかかった点】で挙げた部位のように、
「外部との接触による自己と他者との認識だけでは、その物事に対する本当の理解は得られない。むしろ、多くの物を並べて、比較して、本当の理解が得られる」ということを言いたいのか。
その様な比較を以てして、「精神が内部から決定される場合には、精神は常に物を明瞭判然と観想するからである」となぜ言えるのか。理解に苦しむ。
確かに、前情報もなしに突然、あるものと接触した場合、
混乱して正確なそのものの理解は得られない気がする。
対策として、事前にカタログを準備したり、人からそのものの情報を得たり、
それに類似するものを見ておくとかしておく方が、理解はできそうだ。
でもそれって内部からくる精神の作用なのか?
物事を理解するためには、外部での接触を基に得た情報を集めて比較して
どうやらこのようなものらしいと研究した結果、定義されていくと思う。
神の延長である精神の内なる声で、何物か正しい理解が得られるのだろうか?
そういう話をスピノザがしたいのかどうかすら、正直わからない。
それほど、「エチカ」を読んでいて、理解ができていない。
【行動・意識への接続(1つだけ)】
(明日から意識することを1つ)
→とにかく聞くということは、結構強力な武器になる。
何を言っているかよくわからなくても、論旨がめちゃくちゃでも
とにかく辛抱強く聞くと、話している相手は、
・ストレスが緩和される
・話している相手を味方だと錯覚する
こういう効果が付与されやすい。
何も相手が話さないなら、こちらも無理に話す必要もない。
多くの場合、相手は話す話題を探しているわけでも、私が退屈な相手だと
思っていることもない。
ただ、別のことを考えているだけである。
なので、こちらも今晩の献立を考えればよい。
実は、人間関係は、何を話すかより、どれほど聞くかで左右されやすい。
内容の理解はそこまで重要ではなく、姿勢の問題である。
【保留メモ】
(今は結論を出さない問い)
→聞くと読むは意図が違う。辛抱強く読むことで、私は「エチカ」から何を得られるのだろうか?


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