亡くした心は丁寧さで取り戻す|静かな自己回復の方法

心の戦略

気づけば、毎日が「こなす」ことでいっぱいになっていませんか。
仕事、家事、育児――やることに追われるうちに、
自分の感情や感性がどこかに置き去りになっていく。

効率は上がっても、
「満たされている感覚」だけが、静かに失われていく。

そんなときこそ、一つひとつの行動を丁寧に行うことが、
自分を取り戻すきっかけになります。

床を拭く。靴を磨く。良く味わって食事をする。などなど…
たったそれだけのことが、
不思議と心を落ち着かせ、
感性を取り戻す扉になるのです。

床拭き一つとっても、たかだか床を拭いただけのこと。
しかし、丁寧にやると、雑にやるよりも確実に時間がかかる。

けれど、その時間の分だけ、
部屋の空気が澄み、空間が引き締まる。
締まるというか、涼やかになるというか――。

掃除とは、単に汚れを取る行為ではなく、
「心の輪郭」を整える行為なのかもしれません。
雑にやれば、心も雑に。
丁寧に磨けば、心も整う。
その違いは、目に見えないけれど、確かに存在します。

自衛隊時代から、靴磨きは日課でした。
靴など履けばすぐに汚れるもの。
顔が映るほど磨いたところで、すぐにまた曇る。

それでも磨く。意味があるから。

ピシッとアイロンをかけた戦闘服に、
鏡のように光る靴を合わせる。
それは「戦闘員としての心の構え」を示すもの。

その習慣はいまも残っている。
磨くたびに、心が引き締まる。
一種の儀式のように。
丁寧に手を動かすことで、自分がどんな状態にあるのかを確認している。

人は、忙しさの中で感性を失っていく。
感性を失うと、世界がモノクロになる。
何をしても「作業」になり、感情の起伏が薄れる。

しかし、一つの行為を丁寧に行うと、
感情が戻ってくる。

「美しい」と感じる心が戻り、
「ありがたい」と思える余裕が生まれ、
「面白い」と思える力が蘇る。

そのとき、人生は静かに彩りを取り戻す。

丁寧さとは、時間の無駄ではない。
心のリズムを整えるための技術である。

雑にこなせば、世界はざらつき、
丁寧に扱えば、世界は滑らかに動き出す。

床を磨くように、自分を磨く。
靴を磨くように、心を整える。
その積み重ねが、
「生きる」という行為を、静かに深めていくのです。

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