はじめに
前回の記事で「自分軸を持つこと」の重要性について触れました。
だが、ここでひとつの疑問が生まれます。
──軸を持つことは、本当に“強さ”なのか?
それとも“頑固さ”の別名なのか?
現代では「自分軸」「信念」「ブレない生き方」という言葉がよく使われます。
ですが、その一方で、他者を受け入れられず孤立したり、環境の変化に対応できずに苦しんでいる人もいます。
信念を貫くつもりが、いつの間にか執着に変わっているのです。
では、信念と執着の違いはどこにあるのでしょうか。
信念とは「行動を導くコンパス」
信念とは、価値観や目的をもとに、人生の方向を定めるコンパスのようなものです。
自分自身と向き合い、「何を守りたいか」「何に誠実でありたいか」を明確にしておくことで、
どんな環境でも自分の行動を選び直せるようになります。
たとえば「正直でありたい」という信念を持つ人は、場面によって言葉の選び方を変えながらも、
“ごまかさない自分でいる”という軸を守ります。
信念とは、行動の原点に立ち返らせてくれる力です。
それは固い防壁ではなく、変化の中で方向を見失わないための道標なのです。
私の例でいいますと、バランスよく体を鍛えたいという信念があります。
今はウエイトトレーニングのBIG3を行うことで目的を達成できていると思います。
それに加えて、ジョギングをしたり、武道の稽古をすることで、体をバランスよく鍛えているつもりです。
ただ、仕事やプライベートで忙しくなり、トレーニングの時間が取れなくなることもあります。
そういう時は、「最低限BIG3はやろう」とプランを立てます。
ジムにも行けない時は、BIG3に準ずるような自重トレーニング(腕立て、懸垂、片足スクワット)などに練習メニューを切り替えて、家などでやります。
このように、信念があれば、方針は自在に変化させられるはずです。
執着とは「過去に縛られる安心」
一方の執着は、「かつてうまくいった手段」や「誰かに認められた形」にしがみつくことです。
信念が“目的”を守るのに対し、執着は“手段”を守ろうとします。
たとえば、「正直でありたい」という信念を持っていた人が、
いつしか「正直に言えば必ず正しい」と思い込み、相手を傷つけてしまう──。
この瞬間、信念は執着に変わってしまう。
執着は、自分を守っているようで、実は変化を恐れる心の防衛反応です。
それに気づけないと、かつての正しさが今の自分を苦しめてしまうでしょう。
信念と執着の見分け方
では、どうすれば両者を見分けられるのでしょうか。
目安となるのは次の3点です。
- 変化に対して柔軟に見直せるか?
信念は更新できる。執着は「変えること=負け」だと感じる。 - 自分や他者を苦しめていないか?
信念は人を支えるが、執着は人を縛る。
もし誰かを責める言葉が増えていたら、それは執着のサインです。 - 守っているのは「価値」か「手段」か?
目的を見失い、形ばかりを守っているとき、執着は始まっています。
たとえば、「朝トレを欠かさない」という習慣も、
目的が「自分を整えること」なら夜でもよい。
だが「朝でなければ意味がない」と思い込んだ瞬間、
信念は形に縛られた執着へと変わります。
さらに、先程のトレーニングの例で考えますと「体を鍛える」という目的からトレーニングを始めたとします。
いつしか、通っているジムの決まった教室でしかトレーニングしなくなり、この先生の言うことしか聞かない。それ以外は、特にトレーニングをやる気も起きない。
そうやって、教室や先生に執着することによって、選択肢が減ってしまった状態が執着ともいえます。
教室や先生の都合が合わなくなると「体を鍛える」という当初の目的を達成できなくなる。
執着によって、手段は目的となり、目的はいつまでたっても達成できない可能性が出てきます。
なぜなら、トレーニングの成果が教室や先生の都合に左右されてしまうからです。
柔軟な信念を育てるために
柔軟な信念を持つ人は、自分に問いを立て続けます。
「なぜこれを大事にしたいのか?」
「今の自分に合っているか?」
「この行動で、自分や誰かを苦しめていないか?」
信念は、問い直すたびに磨かれます。
逆に、問いをやめた瞬間から、信念は凝り固まります。
定期的に立ち止まり、自分の価値観を棚卸しすることで、
信念は“変わらずに変わっていける”ものになります。
まとめ
信念は、行動を導く灯。
執着は、その灯を覆い隠す鎖。
軸を持つということは、変化の中で灯を掲げ続けることです。
時には風にあおられ、炎が揺れることもあります。
だが、手放さない限り、その灯は必ず次の道を照らします。
「ブレない人」ではなく、「しなやかに立ち直れる人」。
それが、真に自分軸を持つということです。



コメント