「ちゃんと生きる」って、なんだろう|挫折と不安の時代を生き抜く力

心の戦略

大学進学、優良企業への就職、恋愛、結婚、出産、育児──
一般的な「ちゃんとした人生」を歩もうと思うと、どれも高いハードルが立ちはだかります。

それでも毎日、仕事に行き、家族と向き合い、自分の役割を果たしているあなた。
まずはその姿勢を、心から尊重したいと思います。

でも、めまぐるしく変化する日常で疲弊したとき、そっと周りを見渡してみてください。
ちゃんとした人生を歩まなくても、ささやかな日常を楽しむ人々はたくさんいます。

本質的に人生を満喫するには、「ちゃんとする」ことだけが答えではない気がします。

「ちゃんと生きる」という言葉を分解して考えるとその実態は、「誰かに評価され、安定した給与が与えられ続けること」だと言えます。俗に言う、レールに乗った人生です。

でも現実には、レールなんてものはありませんし、その安定は必ずしも強固ではありません。会社の経営状況、世間の評価、家庭の事情──
予測できない要素が常に存在し、予期せぬ時に崩壊したことは歴史を見ればわかります。

良い大学→良い企業→良い老後のサイクルは、戦後からバブル崩壊までの約50年間でのみ保証された、長い歴史の中で一瞬の安定神話です。

その神話を維持している企業は、ほんの一部です。そのほんの一部に在籍している方々は、本当に優秀なのだと思います。

ただ、ほとんどの人々はその安定を享受できない境遇にいるのも事実です。

私たちは「ちゃんと生きないといけない」と思い込むことで、不安を抑えてきたのかもしれません。
でもその“ちゃんと”の正体は、時代によっていくらでも変わっていく。
だからこそ、自分なりの“ちゃんと”を定義し直す必要があるのです。

だからこそ、本当の意味で「ちゃんと生きる」とは、安定性のない人生の中で最善を尽くし、道を切り開く事なのではないでしょうか。

例えば、希望の大学に合格できなかったとします。
「自分はだめだ」と落ち込むことは自然ですが、そこで立ち止まってはいけません。

  • 別の大学で得られる経験は何か
  • 違う方法で夢に近づける道はないか

こうした視点で最善を尽くせば、挫折は単なる失敗ではなく学びの機会に変わります。

同じように、仕事で昇進を逃した場合も、「評価されなかった事実」を受け入れつつ、次に自分が改善できることに注力する。
行動が伴えば、劣等感は成長のための燃料に変わります。

挫折や失敗に直面すると、誰もが次の感情に揺れます。

  • 焦り
  • 自己否定
  • 不安
  • 迷い

大切なのは、これらの感情を「抑え込む」のではなく、認めて受け止めることです。
「自分は焦っている」「不安を感じている」とラベルを貼るだけでも、感情は整理され、次の行動に集中できます。

私自身も、何度もこういう体験を経験しました。

まず、大学受験を失敗しました。その結果、浪人を経て偏差値が20以上あがり、「自分でもやれるんだ」と励みになりました。

新卒時の就職も失敗しました。睡眠時間もろくに取れない職場で疲弊しました。しかし退職後、陸上自衛隊に入隊したとき、「睡眠をとらしてくれるなんてここは天国だ」と思いました。

そして今も様々な理不尽がやはり私にも降りかかります。ただその時は「陸上自衛隊で培った忍耐力は、ここで活かされるのか」と奮起できるようになりました。

挫折を経ても、その挫折は、未来の場で活きてくることがあります。そのために、挫折したときに感じた負の感情はしっかりと自分の中で消化すべきです。

そのひと手間の有無が、将来の強さに貢献するのです。

失敗や挫折の渦中では、出口が見えないものです。
でも、どんな感情もやがて形を変えて、あなたを強くします。
あなたが今向き合っている壁も、
いつか必ず「この経験があったから」と思える日が来ます。

社会や他人の理想像に無理に合わせる必要はありません。
自分の強み・弱みを把握し、現状に合わせて工夫することこそが、本質的な人物になるための第一歩です。

たとえば、体力に自信がないなら、知識や戦略で補う。
人前で話すのが苦手なら、文章や資料で自分の考えを届ける。
自分にできる範囲で最善を尽くすことが、等身大の強さです。

陸上自衛隊では、背の低さに悩まされました。背の低さで困るのは、陸上自衛隊に限られた話ではないですが、
本当に困りました。

陸上自衛隊では、40㎞行軍という、12時間以上歩き続ける訓練があります。
この行進速度は、ある程度決められているのですが、疲れた人間がやることですから、先頭の人間のペースにつられて速度が変わっていくのです。

陸上自衛官は、基本的に体力に自信があり、体格も優れた人が多いです。
先頭が高身長の人間になることも多いのです。そうなると行軍速度は一気にあがります。

背が低く足も短い私は、ついていくために小走りを強いられます。

しかし、その結果、他の隊員より、タフなメンタルとスタミナがこの訓練で身についたと思います。

つまり、無いものは無い。けれども、それも成長につながる一要素になります。等身大の自分がどんな能力を持っているのか。それを知ることは、人生の確かなステップになると思います。

結局のところ、「等身大の自分」とは欠けている自分ではなく、今の条件で戦う自分のことです。
その現実を受け入れたとき、ようやく人生は自分の足で歩き始めます。

人生はマラソンのようなものです。
最初から全力で走れなくても、一歩一歩を確実に積み重ねれば、必ず前に進みます。

  • 今日できることは何か
  • 明日までに改善できることは何か

挫折や負けを恐れず、小さな挑戦を積み重ねる姿勢が、最終的に自信と成果を生み出します。

逆に挫折や負けを経験して、自分を見つめなおした結果、自分がどのように生きていくのが幸せなのか知ることができるのかもしれません

ちゃんと生きることは決して簡単ではありません。
それでも挫折しても、最善を尽くし、自分にできることに集中することで、道は見えてきます。

他人の評価や社会の保証に依存せず、等身大の自分を理解し、現状に合わせて行動する──
これこそが、現代社会で「ちゃんと生きる」ための本質ではないでしょうか。

うまくいかなくても、あなたが今日も生きている。それだけで、もう十分“ちゃんと”しているのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました